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この事案は、警察官の教育的配慮と職務規範との間にあるギャップ、そして警察装備の扱いに関する厳格なルールが改めて問われた例といえる。
2004年2月24日付けの朝日新聞紙面によれば、2004年2月18日、埼玉県のある小学校で行われた「警察の仕事を学ぶ」という主旨の社会科学習の一環において、埼玉県警察寄居署の巡査長が実際の拳銃(実弾を抜いた状態)や手錠を児童に触れさせたという事実を報じている。
この社会科学習は巡査長と防犯協会の女性職員の二人が講師だったという。
そして、巡査長はなんと、自分の拳銃を約10人の児童に持たせたうえ、手錠も女子児童2人にかけたという。
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「手錠や拳銃のいらない世の中になればいいね」との言葉の意味
同記事によれば、拳銃を児童に持たせながら巡査長は児童来らに対し、こう言ったという。
「手錠や拳銃のいらない世の中になればいいね」
意味合いとしては、「(自分たちの装備品として)手錠や拳銃のいらない世の中になればいいね」だろう。
もちろん「理想としては」そんな道具が必要ない世の中が望ましい。しかし、引っかかるものがある。
ある意味で警察官自身の存在意義を否定してる言葉とも受け取れるわ。だって、手錠や拳銃ってのは警察の「仕事道具」であって、言ってみればそれがないと何もできない。
治安を維持するために、最小限の力として与えられてる法的な権限と装備なわけよ。
刃物事件や無差別攻撃のニュースが後を絶たない中で「警察官に拳銃のいらない世の中」なんて夢みたいなことを、制服着た本人が子どもに語るのって、少し無責任じゃないか。
社会科見学って、感情に訴える啓発の場なのだろうか
それに、「いらない」って表現には、どこか“悪いもの”ってニュアンスがあるわなー。じゃあ拳銃を携行して任務にあたってる全国の警察官は“悪”なんだろうか。
そんなふうにも感じてしまう。
きっとこの警察官は、教育的な意図で、子どもたちに「優しい警察官」を演出したかったのかもしれない。
でも、だったら拳銃を見せる必要があったのか。あくまで教育って、やっぱり“現実”に拠り所を定めないと意味ないと思う。
毒っぽく言えば、「いい人アピール」のために拳銃の価値を矮小化してしまったのだとしたら、それは職業倫理としてどうなんだろう、って思うのよな。
警察の装備を「見世物化」
客寄せパンダとして、ポルシェを見せたりNSXを見せたりはなんとなくわかる。しかし、拳銃を?
ともかく、警察内部の拳銃取り扱い規定では、職務上の必要がない者に拳銃を渡すことは明確に禁じられている。
現実問題として、子どもに警察装備を「安全に」見せたければ、訓練用の模擬銃(トレーニングガン)を使うべきではないのか。
この行為は、いかに教育的意図があろうとも、警察官自身の規律違反であるとして問題になって、新聞記事になった。
「うちの学校にも拳銃を持ってきてほしい」って学校はなかったのか?
さらに、この手の行為が報道により全国に知られれば、「うちの学校にも拳銃を持ってきてほしい」といった軽率な要求が他地域で出ることも懸念される。
警察の装備を「見世物化」させる前例といえる。
怒られた
まあ、当然と言えば当然だが、埼玉県警監察官室は、「詳細を調査の上、厳正に対処する」とし、行為の軽重や意図を含めた慎重な調査を行う姿勢を示したのことだ。
この界隈では理想論が、必ずしも現場の現実や職責と噛み合っていないということだ。
理想論自体が否定されるべきではないが、それを子どもたちに語るなら、なぜ警察が武装しているのかという現実の必要性にもきちんと触れないといけないと思うのだが。
警察がなぜ武器を持っているのか、という現実への説明を省き、「夢物語」だけを提示するのは、教育としても誤解を生むリスクがある。
現実と理想の落差を小学生に伝えるのは難しいのかもしれないが。
まあ、創作のネタとしては面白い。上層部と対立し、意に反して交番勤務の地域警察官となり、小学校に講師として派遣される新○鮫……とか。