護衛艦付き立入検査隊の発足は1999年の北朝鮮工作船事件による周辺事態法成立がきっかけ

海上における外国船などに対して行われる保安上の立ち入り検査を臨検と呼びます。

わが国においては通常、船舶への臨検実施は捜査機関が主体。

海上自衛隊では「有事以外の船舶への立ち入り検査」、いわゆる諸外国の海軍が日常的に一般船舶に対して行う「臨検」を想定していませんでした。

しかし、1999年にいわゆる工作船事件が発生したことで周辺事態法が成立。

海上自衛隊も”必要があれば”、平時での一般船舶への臨検実施が認められました。

海上自衛隊の特殊部隊であるSBUおよび護衛艦付き立入検査隊の創設には、過去に発生した北朝鮮の工作船が日本の領海内に不法侵入した重大事件よ周辺事態法が深く関係しています。本稿ではこれらの工作船事件を解説いたします。

能登半島沖不審船事件(1999年)

1999年3月23日、能登半島沖に突如として外国政府機関の武装工作船が出現。これは北朝鮮が対日有害活動を行うための漁船を装った工作船でした。いわゆる能登半島沖不審船事件です。

日本政府は平成8年度(1996年)より、警察白書において外国政府機関による日本に対する非公然の工作活動を『対日有害活動』と呼称していますが、北朝鮮による対日有害活動は日本国内での諜報活動は言うに及ばず、日本人拉致や日本人になりすます(背乗り)ための工作員送り込み、日本国内の反社会勢力と連携して覚せい剤を密輸するなど極めて悪質です。

このような対日有害活動は80年代から一部の漫画作品でもフィクションとして仄めかされていたことも興味深い話です。例として、釋英勝の「ハッピーピープル」では主人公とその家族の戸籍を「背乗り」する謎のアジア人らを描いた「I Love 日本」が有名です。

これら北朝鮮工作機関による非公然の工作活動のため、日本の漁船に偽装し、強力なエンジンと格納式の対空機関砲などを搭載した武装工作船を同国が何隻も日本海へ送り込んでいることが発覚したのが、能登半島沖不審船事件です。

不審船出現の数日前から兆候があった

北朝鮮の対外工作機関は日常的に国外で活動する自国工作員に対して「A3放送」と呼ばれる短波放送を利用した暗号による通信指令を行なっています。

この通信に普段と違う兆候が見られることを北海道北広島市などにある警察庁通信所や鳥取県にある自衛隊美保通信所が補足したこと(シギント活動を参照)、北朝鮮の工作船基地から工作船が出港したという情報を米軍が日本側に伝えたことなどが事件の発端です。

自衛隊さん、無線などからシギント (Signals Intelligence:SIGINT)してしまう

不審船への初動対処、史上初となる海上警備行動の発令

能登半島沖不審船事件では自衛隊、海上保安庁、警察庁の3機関が対処にあたりましたが、海保の初動対処においては巡視船搭載の20mm砲や13mm機銃で合計185発、さらに海上保安官が携行する9丁の64式自動小銃で1,050発もの威嚇射撃を行ったほか、緊急出動した海上自衛隊のP-3C対潜哨戒機が工作船付近めがけて150キロ対潜爆弾を12発投下するなど、日本の防衛史に残る大きな事案となっています。

また、国会承認が不要かつ防衛大臣が海上における治安の維持のために必要と判断した場合に命ぜられるのが『海上警備行動』です。

海上自衛隊の艦艇に装備される20mm機関砲(JM61-M)と海自隊員。

海上保安庁の対処能力では限界を超え、自衛隊でなければ対処できないと思慮される場合に発令される海上警備行動は、今回の能登半島沖不審船事件で史上初の発令となりました。

しかし、当時はまだ臨検のための専従部隊『護衛艦付き立入検査隊』が編制されておらず、海保と同時に追跡していた海自護衛艦内では9mm拳銃と64式小銃で武装した即席の臨検部隊が臨時編成されています。

そして、1999年成立の周辺事態法を受けて翌年に制定された『周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律』により、まずは護衛艦ごとに臨検を任務とする「立入検査隊」(立検隊)が編制され、2001年に強襲・臨検を任務とする海上自衛隊特殊部隊「特別警備隊」(SBU)が編制されたのです。

2度目の事件……九州南西海域工作船事件(平成13年)

能登半島沖不審船事件の2年後の2001年(平成13年)12月22日、またも北朝鮮の工作船が日本の領海へ不法侵入する九州南西海域工作船事件が発生。日本の海上保安庁が初めて外国の武装工作員と熾烈な銃撃戦を行ったことを日本政府が公式に認めた事件です。

工作船は追跡する巡視船に対して機関砲や小火器、対戦車ロケット砲による極めて苛烈な攻撃を開始。工作船から攻撃を受けた巡視船側には刑法上の正当防衛が成立。工作船と巡視船側の間で激しい銃撃戦が繰り広げられました。一連の作戦中、日本政府は海上自衛隊特殊部隊、特別警備隊(SBU)に初めて出動待機命令を命じるも、その直後に工作船は工作員たちが朝鮮語で何か叫んで(マンセー?)自爆、自沈しています。

海保による一連の作戦資料 参考元・海上保安庁公式サイト https://www.kaiho.mlit.go.jp/info/books/report2003/special01/01_01.html

後日、自沈したテロ船は引き上げられて中身を外事警察に浚われていますが、ライフル、ロケット砲などの強力な兵器、さらには日本の暴力団員の携帯番号が入ったプリケーや北朝鮮の首領に忠誠を表すバッジが発見されています。

なお引き上げられた工作船は東京お台場の「船の科学館」にて多くの人々の前へ晒され、曽野綾子・日本財団会長により、日本人の美徳として敵にも敬意を払うためなのか不明ですが、工作員たちへ「ゆりの花束」も手向けられました。こんな言葉のメッセージカードが添えられて。

「2001年12月22日 九州南西海域で沈んだ朝鮮民主主義人民共和国の若者たちに捧げる。日本財団 会長 曽野綾子」

さて、軍用船にまったく見せない漁船として偽装された船型、塗色。そして秘匿装備された40mm対空機関砲のギャップが異様で背筋が凍りますが、こんな工作船で日本に来て人拐い。さらに海上保安庁から攻撃された弾痕が銃撃戦の激しさを物語る上に、船内内部から爆発物によって自爆し、船体が膨らんでひしゃげた様子も丸わかり。

北朝鮮に連れ去られた多くの日本人の消息がいまだわかっておらず、拉致された日本人をどのように救出するのか、政府はいまだ見通しを立てていませんが、政府と拉致被害者団体では北朝鮮国内に生存すると見られる日本人拉致被害者へ向けて毎晩、KDDIの無線設備を利用した短波放送にて、北朝鮮の妨害電波を交わしながら「あなたがたを長年にわたって無視してきて、すいませんでした」と呼びかけています。

護衛艦ごとに編成され「臨検」を目的とした「護衛艦付き立入検査隊」が発足

この臨検を想定した海上自衛隊の専従部隊が、1999年に発生した不審船事件に端を発する周辺事態法の成立によって新編された「護衛艦付き立入検査隊(Maritime Interception Team:MIT)」です。

護衛艦付き立入検査隊は護衛艦ごとに編成され、CQB(閉所戦闘)といった高度な専門訓練を受けた隊員で構成。

海上自衛隊と言えば、すでに特殊部隊である特別警備隊が編成されています。

海上自衛隊特殊部隊『特別警備隊』の装備と部隊概要

一度しか公開されたことがない特殊部隊である特別警備隊に比べると、立入検査隊は訓練や各種装備品が公開される機会は比較的多く、その検証は比較的容易。

報道によれば、小火器はミネベア製9mm拳銃(P220)、性能とは裏腹に閉所でも取り回しやすい9mm機関拳銃などを配備。

「9mm機関けん銃」って、ホンマに駄作なんか?それとも……?

自衛隊の9mm拳銃(P220)とは?

上記火器による制圧が困難な状況下では、さらに強力な64式や89式小銃の使用も想定されています。

89式5.56mm小銃は軽量小銃?”近接戦闘(CQB)仕様” とは?

 

Strike And Tactical (ストライクアンドタクティカルマガジン) 2017年 9月号 [雑誌]

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立入検査隊員は濃紺に近い「立入検査服」を着用し、同じく濃紺の88式鉄帽やスポーツ用ヘルメット、防弾チョッキを着用しており、海上保安庁の特殊部隊SSTと類似したスタイルです。

また、隊員が素顔を晒していることも特別警備隊、さらには陸自の特殊作戦群とは運用目的が違いそうです。

不正規戦に対応する陸上自衛隊特殊作戦群とは

特異なのが、部隊の性質から来る非致死性の装備品。

臨検は法執行の側面が強いためか、伸縮式特殊警棒ジストスや手錠など、警察官と同等の法執行装具をも携行しているのが特徴。

このように護衛艦付き立入検査隊は特殊部隊の位置づけになっておらず、あくまで船舶に移乗して検査を行うための臨検専従部隊。

急襲して無力化するような部隊ではありません。

このため、さらなる危険性が想定される船舶臨検の必要があれば、戦闘スキルのさらに高い特別警備隊による強襲制圧後に護衛艦付き立入検査隊を移乗させ、臨検を行う手はずとなっています。

参考文献 自衛隊の仕事全ガイド 隊員たちの24時間: Welfare Magazine総集編