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銃刀法と「正当な理由」の壁
日本の銃刀法第22条では、刃体の長さが6cmを超える刃物を携帯している場合、「業務その他正当な理由」がなければ処罰の対象となる。
ここで問題なのは、「防犯」や「護身」のためという理由が、ほとんどのケースで「正当な理由」として認められていない点にある。
東京秋葉原では一時期、アニメファンの若者の間で路上での恐喝「おたく狩り」から身を守るため、ナイフを持ち歩くことが流行した。
それを警戒した警察が、職務質問の一環で、包丁やナイフを所持していた“おたく”たちが理由を問われ、十分な理由がないと判断されれば、そのまま銃刀法違反で検挙されたのが「刃物狩り」である。
ヒグマの出没と道民の現実
しかし北海道では、2023年以降ヒグマの市街地出没が急増し、農業被害や人身事故が相次いでいる。
今回の新聞配達員のように、業務上・生活上、早朝や夜間に人里と山間部を往復せざるを得ない住民にとっては、「なんらかの武器を持ちたい」と考えるのも当然の心理といえる。
実際、山林作業従事者は護身用にナタや熊よけスプレー、ナイフを携行している例もある。行政による発注の際はハンターを同行させる場合もある。
だが、それらは「業務上必要」と判断されるケースであり、一般人が“ヒグマ対策のため”と称して刃物を持ち歩くと、たとえヒグマ対策という正当な動機づけであっても「違法所持」とされるリスクは否定できない。
「北海道版・刃物狩り」は現実に起こり得るか
もし道民が、ヒグマ対策のために私的にナイフや鉈を常時携帯しはじめた場合、それを警察が職務質問で発見したとき、「野生動物からの自己防衛」という理由がどこまで通用するのか。
これは今後、銃刀法運用の解釈次第では、北海道全体にとって現実的な問題となる。
つまり、現在の法では、都市部の治安対策をそのまま地方に適用する形になっており、野生動物との共存という特殊な状況に配慮した立法や運用の余地は、ほとんど考慮されていない。
◆ 警察は“予防機関”であり、個人の盾ではない
ヒグマに襲われる危険性が高まっているにもかかわらず、自衛手段としての刃物所持を禁じられている――この矛盾の根底には、警察という組織の役割に対する社会的な誤解がある。
日本において警察は、一般に「市民の生命財産を守るためには実力も辞さない公的機関」と認識されているが、厳密に言えば「犯罪や危険の発生を未然に防ぎ、発生後には犯人を追跡する」ことが主な任務である。
言い換えれば、特定の個人を守ることが“義務”として制度設計されているわけではない。
実際、「通報から数分で警察が駆けつけたとしても、刃物や獣の襲撃は一瞬で決着する」。
警察庁の発表する「110番通報からの平均到着時間」は都市部であっても数分単位であり、それでも襲撃事件では手遅れになるケースがほとんどだ。
さらに、住民一人ひとりを24時間体制で守ることは制度上も物理的にも不可能である。
あくまで警察は“社会全体の治安維持”のために存在しており、個人の生存権を直接保障する制度ではない。
行政がすべき対策
警察が常時個人を守ることができないという制度上の限界がある以上、住民が命を守るための現実的な手段を、社会全体で再考する必要がある。
特に北海道のようにヒグマとの遭遇リスクが現実的な地域においては、「刃物を持つ=危険人物」といった都市型の基準をそのまま適用すること自体が、実情にそぐわない。
実際に1960年代、北海道の一部地域では、陸上自衛隊が実弾と小銃を携行して小学生の登下校をヒグマから護衛したという事例が存在する。
これは当時、ヒグマの出没が連続し、人命にかかわる危険が現実のものとなっていたため、地域の要請を受けて実施された異例の措置である。
この事実は、「有事における公的機関の警備強化」という形が、地域住民の安全確保に貢献し得ることを示している。
つまり、現代においても、危険が明白な地域では、
・警察と自治体が連携したパトロールの強化
・状況に応じた一時的な自衛隊や猟友会との連携
といった柔軟で現実的な対応策が検討されるべきである。
法律や制度は、現実の生命を守るために存在する。
過剰な建前や、都市の治安モデルの盲信では、最前線の人々を守ることはできない。
命を守るという最も基本的な価値のために、今こそ制度を“生きたもの”として問い直す時である。
この問題に対して本当に必要なのは、
・生息域と生活圏の明確な分離
・専門訓練を受けた対策要員の常駐
・地域に応じた公的機関の出動体制の整備
といった、より組織的かつ長期的な安全確保の仕組みである。
何より、砂川事件をはじめとするハンターへの冷遇をやめるべきである。
現実的に住民側が持てる防衛策はナイフではなく熊鈴、爆竹、熊除けスプレーなど限定的
こうした状況のなか、「クマに襲われた際の自衛策」として、ナイフの所持を検討する住民も現れはじめた。
だが結論から言えば、ナイフはクマ対策として極めて非現実的で危険な手段であり、むしろ爆竹や熊除けスプレーといった「非接触型の威嚇・忌避装備」こそが、現実的で実効的な防衛策である。
熊除けスプレー(ベアスプレー)は、主にカプサイシン(トウガラシ成分)を高濃度で噴射する忌避剤で、北米ではすでに熊対策の標準装備となっている。
数メートルの距離からクマの顔面に噴射することで、嗅覚と呼吸器系に強烈な刺激を与えて撃退することができる。
クマとの物理的接触を避ける点で非常に有効である。過信は禁物だが、「逃げる時間を稼ぐ」という点で明確な防衛効果があるとされている。
また、爆竹などの音響威嚇も有効である。とくに農村地域では古くから「爆音による野生動物追い払い」が実践されており、一定の効果が確認されている。
最近ではクマ撃退用の大音量スピーカーや電子爆音装置も市販されており、こうした「距離を取った威嚇」こそが現実的な自衛策となっている。
まとめ
以上のように、ヒグマから命を守るという観点では、爆竹や熊よけスプレーなどの“初期威嚇”に特化した手段のほうが現実的である。
「消防士の成功例」がある以上、ナイフがまったく役に立たないわけではないが、“最後の最後”に使うべき非常手段でしかないし、法制度を考えれば、日常的にナイフを携帯することは非現実的である。
制度的な議論と並行し、現場に即した“選択肢の現実性”を考えるべき時期に来ている。
ヒグマ被害が深刻化する北海道において、住民が「自己防衛手段」を検討するのは自然な流れだ。
しかし現在の日本では、防犯目的での刃物所持が法的に認められる余地は非常に狭い。
結論として、ナイフを所持してもヒグマから身を守ることは困難であり、むしろ法的リスク(軽犯罪法・銃刀法)を抱えるだけである。
一方で、行政によるヒグマ警戒令が発令中に熊除けスプレーや爆竹を持つことは、一般論では正当な理由になり、比較的安価で合法的、かつ実践的なツールとして現実的な選択肢となりうる。
この二つの手段の中で、現実的に考えれば、爆竹にライターで火をつけるより、スプレーに手を伸ばした方が早いだろう。
道や市町村などの自治体が住民に啓発すべきは、こうした「合理的かつ非接触型の防衛策」であるべきだ。
銃刀法の運用が今後も都市型の治安対策のままで続く限り、北海道の住民が「逮捕覚悟で命を守る道具を持つ」という矛盾した選択を迫られる可能性がある。
ヒグマのような致命的脅威と隣り合わせで生きる地域において、住民自身が“瞬間的に命を守る手段”を持てないことは、時に命取りとなる。
「北海道に住んでいるのだからヒグマ事故は自己責任だ」という論調も一部であるが、現実と法律の狭間で苦しむ市民の声に対して、自己責任の一言で済ませる社会でよいのか、今こそ真剣に問われてほしい。