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海保の航空基地と航空機……海上保安庁も航空機を運用し、空から警備救難を行う
海保では艦艇のみならず、航空機も有しており捜索救難活動に役立てています。全国の航空基地で運用されるほか、大型巡視船にはヘリパッド設備も搭載されています。海保のパイロットは海上自衛隊にて教育の委託訓練を受けています。
海保の航空機
警察の航空隊とは違い、ヘリだけでなく固定翼機も配備しているのが特徴です。その中でも一番大型の航空機は全長30mのガルフストリームという大型ジェット機です。これらの航空機は通常、大規模な空港や自衛隊の航空基地に海上保安庁航空基地が併設され、配備されています。また、ヘリコプター搭載型巡視船もあり、救援対象の船舶からヘリを経由した救急患者搬送にも役立っています。
MA ボンバル300
海上保安庁ではYS-11の後継機として外国製のボンバルディアを採用しています。民間航空会社でも旅客用として採用されて多数運行されていますが、トラブルが多いことも特徴です。
海保のヘリに武装はある?
海上保安庁のヘリコプターには機関銃や爆雷などは搭載されておらず、完全に非武装になっています。
自衛隊のヘリコプターでは、陸自が汎用ヘリのキャビンに50口径やミニミなどのドアガンを設置し、空自のレスキューヘリもミニミを吊り下げ、海自の哨戒ヘリには74式車載7.62mm機関銃を設置している例もありますが。海保ヘリでは警察ヘリと同様に完全に非武装です。海保が軍隊ではないことを広く証明するために警察同様の措置をとっているものとみられます。ただ、銃器を携行した隊員が機上から射撃を行う場合も考えられます。
大やけどを負ったロシアの少年を第一管区海上保安部の航空機で緊急搬送!YS-11で宗谷海峡を越え、大やけどの少年を救った
「サハリンに大やけどを負った少年がいるので北海道に搬送して治療できないか」
夏の日の1990年のある日。サハリンに滞在していた日本人から北海道庁に緊急の電話がありました。
道庁の担当者は外務省と連携をとり、その少年、コンスタンチン君の命を救うため前例のない行動を決断しました。
それは千歳から海上保安庁の飛行機でサハリンまで飛び、少年を迎えに行くという前例のない飛行計画でした。
深夜3時。千歳空港に所在する海保千歳航空基地には航空医療に定評のある医師などが集まり、千歳からサハリンに向け、1管の航空機YS-11がレスキューミッションのため緊急離陸しました。
YS-11は1990年の暑い8月の深夜、千歳を離陸すると岩見沢、滝川などの上空にターボプロップのエンジン音を響かせながら通過し、稚内まで北上しました。
目の前には宗谷海峡が広がります。この宗谷海峡では過去、悲しい事件が起きています。当時のソ連軍戦闘機によって大韓航空機の旅客機が撃墜されたのです。
このため、日本政府は国境を超えるにあたり慎重にならざるを得ませんでしたが、ソ連政府からは領空進入の許可を受け、サハリンの空港当局からの着陸進入アドバイザリも受けて、海保のYS-11は空港へ無事着陸できました。
最初の電話連絡から実に17時間後のことでした。空港でコンスタンチン君を引き受けると、すぐにYS-11は北海道へ向けて離陸、同時に機内では医師4人による治療が開始されました。
トンボ返りで千歳に戻ったYS-11から今度は消防ヘリにバトンタッチされ、札幌医大の屋上ヘリポートにヘリは着陸。
そしてコンスタンチン君の本格的な手術が始まり、翌日には皮膚移植に成功し、命を取り留めることができました。
海上保安庁、道庁のみならず、外務省や法務省などの各省庁間が協力して一人の少年の命を救ったエピソードです。
1990年、この奇跡の飛行を行った海上保安庁のLA782「おじろ」号は、その後も海保にて活躍し、長らく配備されてきましたが、2009年に引退が決定され、同年12月に任務を解かれました。