バナー画像の引用元 特殊部隊SAT (イカロス・ムック)
日本における本格的な対テロ特殊部隊「SAT(特殊急襲部隊)」は、現代的な装備と訓練体制を持つが、その発足には極めて厳しい歴史があったことをジャーナリストの伊藤明弘氏が伝えている。
それによれば、SAP時代は隊員の苦労が絶えなかったようである。
涙なしには語れない『切実すぎる歴史』――日本の特殊部隊SATの知られざる誕生物語
1977年の「ダッカ事件」を契機に、警視庁や大阪府警などが密かに「対ハイジャック部隊(SAP/零中隊)」を創設。
部隊は「存在しない」とされ、予算も付かず、装備は軍事雑誌の通販などを頼りに隊員が自費で調達していた。
とくに個人装備を文字通り、個人の資金で調達したという。
具体的な調達方法がミリタリー愛好家のそれと同じである。
まずもって問題となったのは、どうやって装備品を購入していくかだった。何しろ当時は、Amazonはもちろんインターネットも普及していない。活躍したのは、月刊の軍事専門雑誌の広告ページだったという。
もちろん、銃器は正式な国家間での調達であった。
今でこそ、警察庁が警察白書の中でベタ褒めしているSATのメイン武器である『MP5』。
ところが、そのMP5サブマシンガンやヘルメットですら、SAP時代は独GSG9との縁で融通してもらったという。
記事によれば、SAP(Special Armed Police)は警察内部で密かに編成された非公表・非公式の特殊部隊だったため、次のような理由で予算がつかなかったのだ。
■ SAPに予算がつかなかった理由
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組織上「存在しない」扱いだったため
→ 正式な部隊名として公文書や予算申請に記載できなかった。 -
秘密裏に編成された特殊任務部隊だったため
→ 予算要求の過程で公開されることを避ける必要があった。 -
結果的に、装備品の調達は個人任せになった
→ 部隊の予算では足りず、隊員が自費で装備(ホルスター、ナイフ、懐中電灯など)を購入。
→ サブマシンガンなど法的に個人が国内調達できない装備は、ドイツのGSG9から借り受けた。
つまり、制度として未整備だったことと、秘密部隊ゆえの「存在を公にできない」というジレンマの結果、隊員の個人的な“軍拡”になったわけだ。何とも涙ぐましいものがある。
1995年、全日空857便ハイジャック事件で初の強行突入が実施され、特殊部隊の存在がマスコミを通じて明るみに出た。
これを契機に1996年、正式な部隊としてSAT(特殊急襲部隊)が発足するまでは、存在を隠す必要があったことが、予算上の最大の障壁だったということだ。
なお、SAP時代から対戦車ライフルを装備していたという。
このように、部隊を取り巻く環境は厳しかったが、隊員たちは選び抜かれた精鋭だった。スナイパーは、ボルトアクション式の狩猟用ライフルから対戦車ライフルまで、さまざまなライフルでの訓練を行っていた。
訓練は深夜の羽田空港で極秘に行われ、スナイパーは機体に仮想のXY座標を思い描いて射撃するなど、極限状況を想定した訓練が続いた。
その後も、西鉄バスジャック事件(2000年)、長久手発砲事件(2007年)など、国内での重大事件で出動し、実戦経験を積んでいるSAT。
記事は、日本の特殊部隊が表舞台に立つまでの「涙ぐましい努力」と、「今なお縁の下で活動を続ける彼らの存在」に光を当て、敬意を込めて締めくくっている。