日本が欧米の「連邦航空保安官(Federal Air Marshal)」に倣い、スカイマーシャルを導入したのは2004年のことです。
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「航空機内で行なわれた犯罪その他ある種の行為に関する条約」という条約と機長権限
各国の航空会社が運航する旅客機において、飛行の安全を脅かす乗客が実際にいた場合、国際的に取り決められた「航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約」によって、機長にはその権限に基づき、問題のある乗客を身体拘束することが認められています。
この条約は、犯罪行為のみならず、犯罪に類似するような行為についても適用される仕組みとなっています。
航空機内で行なわれた犯罪その他ある種の行為に関する条約第1条1 この条約は、次のものについて適用する。(a)刑法上の犯罪(b)航空機若しくはその機内の人若しくは財産の安全を害し若しは害するおそれがある行為(犯罪であるかどうかを問わない。)又は航空機内の秩序及び規律を乱す行為2 この条約は、第3章の場合を除くほか、締結国において登録された航空機内の者により当該航空機の飛行中に又は当該航空機が公海の水上若しくはいずれの国の領域にも属しない地域の地上にある間に行なわれた犯罪又は行為につき、適用する。3 この条約の適用上、航空機は、動力が離陸のために作動した時から着陸の滑走が終止する時まで、飛行中のものとみなす。4 この条約は、軍隊、税関又は警察の役務に使用される航空機については適用しない。第2条 第4条の規定の適用を妨げることなく、また、航空機又はその機内の人若しくは財産の安全のために必要とされる場合を除くほか、この条約のいかなる規定も、刑罰法規のうち政治的性質を有し又は人種若しくは宗教による差別に基づくものに反する犯罪に対する措置を承認し又は要求するものと解してはならない。
「航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約」には日本も批准していますが、日本の場合、大型旅客機の機長には、大型船舶の船長や一部の海員が持つような特別司法警察職員としての権限はありません。
公共交通機関である鉄道においては、2018年6月にJR東海の新幹線「のぞみ」車内で、乗客が刃物を持った暴漢に襲われ、命を落とす事件が発生しました。
この事件を受けて、JR東日本ではセキュリティ強化の一環として、車掌などの乗員に催涙スプレーや警戒杖を配備し、さらに「不審者に向けて照射し行動を抑制する」目的で、SUREFIRE G2X-MVなどの装備を導入しました。
しかし、現在に至るまで、日本国内の航空各社においては、旅客機の機長が護身用品を携行することに対して否定的な見解が続いています。
当然ながら、武装したハイジャック犯に対して、武器を持たない機長が対処することは難しく、これまで機体の安全は、厚く頑丈なフライトデッキのドア一枚に依存してきました。
日本国内での旅客機内における重大事案
日本国内の旅客機内で発生し、機内の安全保障体制、警察・国の対応の限界や課題が浮き彫りとなった重大事案は2件あります。1995年 全日空857便ハイジャック事件および1999年 全日空61便ハイジャック事件です。
いずれも、スカイマーシャル制度や運用に大きな影響を与えたと考えられています。
1995年 全日空857便ハイジャック事件
● 概要
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発生日:1995年6月21日
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航空会社/便名:全日空857便(福岡発・新千歳行)
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乗客・乗員:365名(乗客360名・乗員5名)
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ハイジャック犯:当時53歳の自称オウム信者で東洋信託銀行行員の男
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動機:オウム真理教教祖の釈放を日本政府に要求
● 経緯
被疑者は金属製の工具を機内に持ち込み、乗務員を脅して操縦席に立てこもった。航空機は函館空港に緊急着陸。犯人は乗客全員を人質とし、犯人は当初、麻原彰晃(当時は被告人)の釈放と、燃料を補給して羽田空港に引き返すことなどを要求。
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警察は機動隊、交渉人、特殊部隊を動員。約15時間にわたり機内での立てこもりが続いた。
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最終的に犯人は道警機動隊員によって取り押さえられ、死者・重傷者なしで事件は収束。後方支援にはSATの前身である警視庁SAPが当たった。
● 影響
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工具の持ち込みを許した空港保安体制の不備。
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これを契機に、運輸省(現在の国土交通省)は航空保安体制の強化を打ち出し、金属探知機の精度向上、手荷物検査の厳格化など、航空各社とともに再発防止に努めるよう発表した。
1999年 全日空61便ハイジャック事件
● 概要
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発生日:1999年7月23日
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航空会社/便名:全日空61便(羽田発・新千歳行)
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乗客・乗員:517名(乗客503名・乗員14名)
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ハイジャック犯:当時28歳の男
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動機:不明確。精神疾患があったとされ、「飛行機を操縦したかった」という発言が報道された。
● 経緯
被疑者は手荷物として小型の刺突用凶器(約20cmの果物ナイフ)を持ち込み、離陸直後に客室乗務員を脅迫し操縦室に侵入。その場で機長を刺殺し、機体を一時的に自ら操縦した。
副操縦士が機体の制御を奪還し、羽田空港に緊急帰還。犯人は到着後に警察官によって逮捕された。
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戦後日本で唯一の、航空機ハイジャックによる乗員殺害事件である。
● 影響
この事件は、日本の航空保安制度の根本的見直しを促した。
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操縦室の施錠義務化(コックピットドアの強化)
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小型刃物の機内持ち込み禁止
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保安検査体制の見直し
また、国土交通省(当時は運輸省)は航空各社に対し、操縦室への不用意な立ち入りを一切禁止する指導を行い、航空法および刑法のハイジャック関連条項も強化された。
■ 両事件に共通する教訓
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「航空機内の安全確保は空港の保安だけでは不十分」という認識が広がった。
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警察が事件に即応するまでに、航空会社や乗務員の判断・対応能力が決定的に重要であることが証明された。
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「地上での警備と同じ発想では空中の治安に対応できない」という視点から、以降の制度(例:スカイマーシャル制度、空港警備の強化)へと繋がった。
■ 現代との比較
今日では、以下のような制度的変化が施行済みである:
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国内線でも、コックピットドアは原則施錠・強化構造に
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保安検査においては刃物・金属器具の持ち込み全面禁止
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精神疾患歴のある人物に対する航空会社側の対応ガイドラインも整備
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重大情報に関しては、公安・警備部門との情報連携体制が強化された
日本のスカイマーシャルと航空機警乗警察官制度とは
このように、アメリカをはじめとする欧米の先進国では、すでにスカイマーシャル制度が広く実施される中、日本国内でも2004年(平成16年)に「安全かつ容易な海外渡航イニシアチブ(平成16年6月 シーアイランド・サミット)」が合意されたことを受け、同年12月から「航空機警乗警察官」制度が導入されました。
成田空港を管轄する千葉県警、関西国際空港を管轄する大阪府警の警察官が、乗客に紛れて旅客機に乗り込み、機内テロやハイジャックに備えています。
近年では、羽田空港を管轄する警視庁も警乗任務を実施しています。
しかし、テロリストに手の内を明かすことを避けるため、日本政府はその具体的な運用について公表していません。
▶ 参照URL:日本政府公式サイト「スカイ・マーシャルの実施について」
私服や制服の警察官が旅客機、鉄道、船舶へ警戒のために搭乗することを「警乗」と呼びます。
旅客機に警乗する警察官には、その任務を遂行するために必要な能力を保持できるよう、教育訓練が徹底されています。
通常、「航空機警乗警察官」は、警察官とひと目で分かるような姿では搭乗せず、私服の下に装備品を着用し、乗客を装って機内食をとりながら、人知れずハイジャックなどのテロや客室内で発生するトラブルに対応するとされています。
日本政府が公表している資料によれば、航空機警乗警察官と機長は互いに密接に協力し合い、航空機の安全運航の確保に努めることが定められています。
また、日本政府は、日本に乗り入れる外国便に警乗する外国政府のスカイマーシャルの警察官に対しても、「航空機の飛行中におけるハイジャック犯の制圧」という共通の目的のため、相互に緊密な連携・協力を行う方針を示しています。
スカイマーシャルが使用する特殊な弾丸を装填したけん銃
武器を持ったハイジャック犯への対処として、小型武器の使用が想定されており、日本の警乗警察官も欧米のスカイマーシャルと同様、けん銃を携行して乗り込んでいます。
当局者の発言からは、欧米のスカイマーシャルで使用されている「フランジブル弾」の使用が類推されます。
日本航空機長組合は武装警察官の搭乗(警乗)に反対を表明
このように、日本政府は航空機警乗警察官と旅客機の機長がハイジャック防止および機の安全運航という共通の目的のため、密接に連携することを指示しています。
しかし、日本航空の旅客機機長で構成される「日本航空機長組合」は、2004年に警乗活動への反対を表明しました。
日本航空機長組合の公式サイトに公開された声明によると、警乗活動に反対する理由として、以下の点が挙げられています。
- 武器を機内に持ち込ませない水際対策の強化なくして、武器を携行した警察官の搭乗では、テロやハイジャックを完全に排除できない。
- 機内に武器が存在することの危険性について疑念が拭えない。
- 警乗による対策が、現場の乗員の理解を得ないまま一方的に実施されてはならない。
日本航空機長組合によれば、航空機警乗警察官制度は、現場の乗員の理解や同意を得ずに、経営者側と国が強行導入した恒久的制度であり、信頼関係が築かれないままの導入には強い不快感と不安を感じているとしています。
また、万が一機内で警察官が発砲した際の安全性についても未検証であり、機長の権限が侵害される可能性や、機長の権限と警察権が拮抗する事態にならないよう、万全の対応を求めています。
そのため、日本航空機長組合としては、日本政府による航空機警乗警察官制度の即時中止を求めており、機内への不審者侵入防止策としては、地上でのハード面の改善が重要であると主張しています。
具体的には、トイレの移設やフライトデッキの二重扉設置などの措置を求めています。
前述のFFDOプログラムにおいて、米国のジャネット・ナポリターノ国土安全保障長官は、「機内に武装した乗員や警察官を配置するよりも、フライトデッキの厚いドアのほうが有効である」と述べています。
日本航空機長組合も、この考え方と同様の立場を取っているようです。
操縦士自らが犯罪を起こすケースもある
また、航空会社のパイロットやスタッフが自ら犯罪を起こすケースも存在します。多くの場合、その目的は希死念慮に起因するものです。
例えば、2015年10月にはドイツの航空会社の副操縦士が機長をフライトデッキから締め出し、自動操縦を解除して墜落させました。また、2018年8月には、シアトルのホライズン航空に勤務する地上スタッフが、自社の旅客機を乗り逃げし、ワシントン州ピアースに墜落させる事件が発生しました。
日本でも、1982年に「日本航空350便逆噴射事件」が発生しています。この事件では、精神疾患を抱えた機長が意図的に逆噴射を行い、機体を墜落させ、多数の犠牲者が出ました。
旅客機を凶器に変えるのは、必ずしも外部の第三者によるハイジャックとは限りません。機長自身が意図的に墜落を企んでいた場合、乗客は頑強なフライトデッキの扉を破るためにどのように行動すべきなのか、議論の余地がありそうです。
アメリカとの違い
比較項目 | アメリカ(FAM) | 日本(スカイマーシャル) |
---|---|---|
管轄 | TSA(運輸保安庁) | 警察庁(警備局) |
実施頻度 | 高頻度・全国網羅 | 限定便・不定期 |
搭乗対象 | ハイリスク便に広く配備 | 特定国際線に絞って実施 |
常設性 | 常設・制度化済 | 必要時に実施・弾力運用 |
組織規模 | 数百名規模以上 | 人数・配置ともに非公表だが、限定的 |
法的位置づけ | 連邦法執行官として明文化 | 「航空機内における警察権行使」に基づく運用(法的枠組みは限定的) |
日本警察による航空機警乗(スカイマーシャル)のまとめ
日本にもスカイマーシャル制度は確かに存在しますが、それはあくまでも特定のリスクに備えた限定的かつ柔軟な措置です。アメリカのような、大規模かつ制度化された航空保安官制度(FAM)とは異なる運用思想に立脚しており、「常時搭乗型の抑止力」ではなく、「情報に基づく選別型の予防措置」として位置づけられているのが実情です。
私たちが安全に海外旅行を楽しめるように、各国の警察や航空保安当局では、フランジブル弾を装填したけん銃を携行した警察官や法執行官が旅客機の安全な運航のために公共保安サービスを実施しています。