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またもや「コジれ勢」の暴走劇——パトカーに体当たりし逮捕された男の正体とは?
2023年の春、世間を騒がせた大阪の結婚詐欺男の事件に続き、再び「コジれ勢」と呼ばれる一部のマニアによる暴走が注目を集めています。
舞台となったのは、東京のど真ん中。3月31日、愛知県在住の20代男性(職業不詳)が、自ら運転する車で白昼堂々、警視庁のパトカーに何度も衝突するという前代未聞の凶行に及び、その場で現行犯逮捕されました。
事件は突然発生しました。目撃者の話によると、男性はパトカーと接触する前に一般車両にも衝突し、そのまま逃走。
警察の追跡を受けた末、複数回にわたりパトカーへ体当たりするという異様な行動を見せたのです。
さらに驚くべきは、その男のSNS上の発言。捜査関係者によると、男性のTwitterアカウントはすでに特定されており、事件当日の投稿内容が一部明らかに。
見ていきましょう。
事件当日の様子…クラウン暴走劇の一部始終——警察に“ぶっこみ”を仕掛けた男の行動の顛末
3月31日、東京都内で起きた異様な追跡劇。警察の停止要請に対し、いったんは素直に車を止めたかのように見えた白いトヨタ・クラウン。
しかし、次の瞬間、状況は一変します。
クラウンは突然後退し、背後に停車していた警視庁のパトカーに激突。そのまま逃走を図るという、まさに常軌を逸した行動に出たのです。

フジテレビFNNのニュース報道より。パトカーは前部が大きく破損し、走行不能になったという。
当初は「愛知から東京に来て道に迷ったのでは」との見方もありましたが、後の報道で、男性はその直前に一般車両と接触事故を起こし、そのまま現場を立ち去っていたことが明らかとなります。
つまり、パトカーへの衝突は偶然ではなく、明らかに意図的なものであった可能性が高いと見られています。
警察は逃走を続ける男性の車両を追尾。その最中、男性は再びパトカーに向かって急接近し、二度目の衝突。パトカーは損傷が激しく、自走不能となるまでの被害を受けました。
それでも現場では発砲などの強硬措置はとられず、男性はさらに数キロ逃走。最終的に杉並区和泉で、駆けつけた白バイ隊員を含む複数の警察官によって取り押さえられ、公務執行妨害の現行犯で緊急逮捕されました。

フジテレビFNNのニュース報道より。警視庁の小型警ら車が男の運転するトヨタ・クラウン(GXS12)を追尾していた様子。パトカーに対し、男は”ぶっこみ”を仕掛ける。二度の衝突でパトカーはついに自走不能に陥った。
この逮捕の様子は通行人によって撮影され、ネット上に拡散されています。映像には、複数の警察官が男性を取り囲み、力なく倒れ込む彼を素早く制圧する一部始終が収められていました。男性は抵抗するそぶりもなく、静かに身柄を確保されていきました。
その後、被疑者を乗せたパトカーが警察施設へ到着。建物前にはすでに大勢の警察官が待機しており、整列するその姿は異様な緊張感を漂わせていました。
男性が車から降ろされる瞬間、居並ぶ警察官らは冷ややかな視線を向けます。その目は一様に“無言のメッセージ”を放っているようでした。
この光景には、「警察に歯向かう者がどんな末路を辿るのか」を可視化し、一般市民に国家権力の威光を印象づける意図すら感じられました。
こうした演出が現場の判断なのか、それとも上層部の意図的なメッセージだったのか、真相は不明。
異様な投稿と“模範性”の自己投影——暴走の裏に見える歪んだ自己像が垣間見えた
事件の背景を探るうえで見逃せないのが、男性のものとみられるX(旧Twitter)アカウントに残された数々の異様な書き込み。
とくに注目を集めているのが、事件当日に投稿されたとされる凶行を暗示するような文言とも受け取れる内容です。
「もう警察は嫌いだから法律を犯す」
引用元:Ryota Fukaya(@Rsan1030)
——そう記された投稿は、挑発的かつ衝動的な一文。
この他にも、警察に対する強い敵意をにじませた書き込みが複数確認されており、計画性すら感じさせる一連の投稿がネット上で拡散されています。
一方で、意外なことに、男性は事件前まではむしろ警察に対して肯定的な見解を示していた形跡も。
過去の投稿を遡ると、組織としての「警察」や、その象徴とも言える警察車両に対して、並々ならぬ敬意を払っていた様子が見受けられます。
たとえば、男性が今年2月8日に投稿したとされる内容では、自身の愛車である白のトヨタ・クラウンの画像を、警察仕様のクラウン・パトカーやタクシー車両と並べて掲載し、次のように綴っています。

『利益の追求は人を大切にできない』という書き込み。引用元:Ryota Fukaya(@Rsan1030)
利益の追求は、人を大切にできません。
警察は模範的な行動をしています。
真面目な人でないとこのような車は耐えられません。——引用元:Ryota Fukaya(@Rsan1030)
この投稿からは、警察に対するある種の理想像を、自らの行動と愛車、価値観などを重ね合わせていたことがうかがえます。
つまり、男性にとってクラウンは単なる車ではなく、“模範”や“秩序”を象徴する記号であり、それを所有する自分自身もまた、同様の価値を体現していると信じていた可能性があるのです。
しかし、その“模範性”は、皮肉にも事件当日の暴走行為によって一気に崩壊。
あれほどまでに称賛していた警察に対し、自らの手で破壊的な行動をとるに至った背景には、承認欲求と現実との乖離、あるいは何らかの精神的葛藤が存在していたのかもしれません。
トヨタへの皮肉? “クラウン信仰”に滲む歪んだ社会観
また、今回の事件における注目ポイントのひとつが、被疑者のものとされるSNSアカウントに残された「利益の追求は、人を大切にできません」という書き込み。
一見すると哲学的とも読めるこの一文ですが、その矛先がどこに向けられていたのか、気になるところ。
一部ではこの投稿を「(営利企業では無い)警察への擁護」と捉える声もあるものの、実際には“利潤追求”を旨とする私企業、つまりトヨタ自動車株式会社に対する皮肉ではないかとの見方もあります。
というのも、被疑者が強い執着を見せていた愛車・トヨタ クラウンは、まさにトヨタが誇るフラッグシップモデル。そしてトヨタといえば、誰もが連想するのがあの「トヨタ生産方式」です。
トヨタ自動車公式サイトによれば、トヨタ生産方式とは以下のように定義されています。
トヨタ生産方式は、「異常が発生したら機械がただちに停止して、不良品を造らない」という考え方(トヨタではニンベンの付いた「自働化」といいます)と、各工程が必要なものだけを、流れるように停滞なく生産する考え方(「ジャスト・イン・タイム」)の2つの考え方を柱として確立されました。
引用元 トヨタ自動車公式サイト
この方式は、生産性向上と無駄の排除を徹底的に追求した手法であり、その合理性と効率性は日本国内外で高く評価されてきました。
しかしながら、こうした“利潤追求の哲学”が行きすぎた結果、人間性や温情といった視点が後景に追いやられたと感じる人々がいることも事実です。
実際、かつてはこのトヨタ・システムの思想が学校教育現場にまで応用され、「トヨタ式管理教育」といった批判的な言い回しで語られることもありました(※ただし、“トヨタ式管理教育”なる制度が公式に存在するかどうかは筆者として確認できておりません)。
こうした文脈の中で、被疑者が「クラウンに乗る者は模範的な人間である」と主張していたことは、社会規範や秩序への過剰な理想投影のようにも。
しかし、その“模範的”な人物像は、暴走と警察への敵意というかたちで自ら壊してしまったわけです。
筆者自身、過去に「クラウンに乗った人間でまともな人を見たことがない」とやや辛辣な感想をSNS上で述べたことがあります。
もちろんこれはあくまで個人の感想であり、クラウンのオーナー全体を貶める意図は一切ありません。
むしろ、そうした“乗っている車種=人としての価値”といった図式そのものが、いかにナンセンスであるかが、今回の事件です。
だからこそ、今回の件は、「クラウンに乗る者=模範的」という彼なりの世界観のもとで起きた歪んだ事件だったようにも思えてなりません。
高級車を通して社会と自己を定義づけようとしたその姿は滑稽ですが、何か哀しみの様なものも漂っています。
その男、反警察思想につき
――「パトカーは好きだが、警察は嫌い」その矛盾の果てに
今回の事件において注目されるのは、被疑者が“反警察思想”へと転じた「ある理由」です。
それまで彼は警察に対しては肯定的な印象を持っていたようでしたが、2023年3月頃、突如としてその姿勢が大きく変化しました。
「警察は国の番犬だと思っている。
だから、パトカーは好きだが、警察は嫌いだ!」
― 被疑者本人のSNS投稿より(2023年3月30日)
このように、彼は警察という組織を突如として否定。しかし、一方では警察車両であるパトカーに対する愛着は変わらず持ち続けていたようです。
ある意味、パトカーを自分なりに萌えキャラに擬人化しすぎたあまり、その“乗り手”とのギャップに耐えられなくなったのかもしれません。
そして、彼のツイートのぶら下がりを読み進めていくと、思想の変化の背景には、“警察官による職務質問”がきっかけとなった様子。
「私は話したくないと言っても、警察は話してもらえないと帰れないと言い、人数を増やして囲まれました…
そんな奴らは嫌いになりますよ!」
― 同アカウントより
この発言からは、威圧的な職務質問を受けたことに対する強い反感が見て取れます。
彼にとって警察とは、自分が一方的に好意を抱いていた対象だったのかもしれません。
しかし、その警察から冷たい、あるいは高圧的な対応をされたことで、その好意が反転し、怒りと敵意へと変化したようです。
しばしば、ストーカー事件などで「相手に裏切られたと感じ、逆恨みしてしまう」という心理が指摘されますが、今回の件もそのような感情構造に通じているのかもしれません。
仮にですが、
「僕の大好きなお巡りさんに裏切られた……!
こんなに警察が好きなのに!
僕も同じクラウンに乗ってるのに!
パトカーの写真を撮って広報してあげていたのに!
撮らせてくれるということは、警察が僕を認めてくれている証拠だと信じていたのに……。
もう怒ったぞ!警察を困らせてやる!」
こうした被害妄想的な思考が、実際に事件という形で現実化してしまったのではないかと仮定できます。
一方で、日本の警察官による職務質問に対して、好意的な印象を持つ人も存在します。
ある外国人女性は、丁寧で親切な対応に感動し、「日本の警察官が好きになった」と投稿していました。もし被疑者がそのような対応を受けていれば、今回のような思想転向は起こらなかったのかもしれません。
最終的に彼は、「もう警察は嫌いだから、法律を犯すことにした」とも受け取れる危険な投稿を行い、暴走へと突き進んでしまった彼。
パトカーは好きだけど、警察は嫌い。
そんな個人的な感情を抱くのは自由のはずですが、実際に公的機関に向けて爆発させるような行為は、やはり看過できるものではありません。
パトカーを愛しすぎた男が、警察を憎むようになった。その矛盾の先にあったのは、皮肉にも“衝突”という形の末路だったのです。

男の投稿より。
こうした投稿が行われた時点で、インターネット・ホットラインセンターに通報された可能性は十分にあります。
同センターは、違法・有害情報の通報を受け、必要に応じて警察など関係機関へ情報提供を行っています。仮にこれが正式に通報・報告されたとすれば、警察当局は速やかにISP(インターネットサービスプロバイダ)に対して情報開示を要請。男の情報は照会され、結果として県警の“要注意人物リスト”に登載されたのではないか――そんな推測も成り立ちます。
“好き”の裏返しが招いた暴走――パトカーマニアの末路
犯行当日の31日、”犯行予告”や希死念慮の書き込みも――助けを求めていたのか、それとも…
ある書き込みを行ったその瞬間から、男の運命は静かに動き出していたのかもしれません。
事件が起きたのは2023年3月31日。その当日、男のTwitterにはこう記されていました。

「たすけて!!死にそう!」
この悲痛なツイートは、まるで某著名漫画家の“最後の書き込み”を連想させるような、生々しい言葉でした。単なるネットスラングや構ってほしいだけの投稿とは受け取れない切実さが漂っています。結果、この書き込みのあと、男は大きな一線を越えることになります。
書き込み直後、即・当局のレーダーに?
さらに男がSNS上に投稿したのは、見る者が眉をひそめるような内容でした。
「私には悪魔がついている!負けないぞ!」といった、不穏な書き込み。
これが精神的不安定さを表すものなのか、それとも“自らに言い聞かせる”タイプの自己暗示なのかは、は明らかではありません。

男のTwitterより。『私には悪魔がついている!負けないぞ!』という書き込み。何を意味するのか。
また、彼はこの日、自宅のある愛知県から東京都へ移動中であることを示唆する投稿も行っており、位置情報や内容によっては「目的を持った行動」であった可能性も指摘されています。このポストを見た人の間では、これを“事前行動”とみなす向きもあるようです。
それはまさに“犯行を予告するかのような投稿”だったと言えるでしょう。こうした投稿が行われた時点で、インターネット・ホットラインセンターの監視網にひっかかった可能性は十分にあります。
男性の心に何があったのか
20代という、不安定さを抱えやすい時期。男が抱えていた内面的な問題や心の葛藤、それが犯行動機とどのように関わっていたのかについては、現在も捜査が続いています。
なお、犯行からしばらく経った今もなお、報道各社が男性の氏名を報じていない点については、「事件の性質や本人の精神状態への配慮があるのでは」とする声もあります。
匿名性が保たれている背景には、メディア側の“察してください”みたいな、慮る空気があるのかもしれません。
マニアという存在について、ひとつの結論――“好き”という感情は、いつも穏やかとは限らない
「パトカーは好きだが、中に乗っている人間は嫌い」。
このような感情を持つ人は、実は少なくないのではないでしょうか。装備・仕様・デザインといった“物としての美学”に魅了されるマニアは、決して珍しくありません。
しかし、だからといって警察車両に衝突する、あるいは攻撃を加える――そのような行為はもはやマニアでも何でもなく、ただの犯罪者です。
警察マニア界隈においても、そのような人物を擁護する声はほとんど聞かれません。多くのマニアたちは、遠くから装備を眺め、静かに心を躍らせている“善良な観察者”なのです。
今回の一件により、その“善良な観察者”たちが偏見の目を向けられることがないよう、節度ある態度が改めて求められています。
暴走のきっかけは、小さな違和感やすれ違いだったのかもしれません。
「大好きだった存在に裏切られたと感じた」――そんな心の傷が、怒りや敵意へと形を変えてしまったのならば、それはやはり悲しい結末です。
パトカーを愛していたはずの男が、警察そのものを敵視するようになった。そして最終的に、その“好き”という気持ちは、最もしてはならない形で表出した。
“警察を一方的に賛美するような人”――実は、そちらのほうがよほど危ういのかもしれません。
パトカーが好きすぎてパトカーのアンテナを盗む、パトカーが好きすぎて覆面パトカーを装って赤信号に突っ込む、そして今回のパトカーが好きすぎてパトカーに突っ込む事件。
毎回、なぜそうなるのか、不思議でなりません。