第二次世界大戦においても、女性兵士そのものは珍しい存在ではありませんでした。
多くの国で女性は戦争遂行のための後方支援や補助任務に動員され、看護、通信、事務、労働など多岐にわたる役割を担っていたのです。
しかし、狙撃手や戦車兵、爆撃機のパイロットといった、明確に戦闘行為を伴う最前線の任務を担う戦闘員として女性兵士となると、話はまったく異なります。
こうした女性戦闘員は極めて限られ、当時の諸外国軍でも国家として制度的に訓練し、戦場に投入した例はほとんど存在しませんでした。
その中で、制度的に女性を戦闘員として動員し、前線で実戦を行わせたのは、例外なくソ連赤軍だけでした。
序章:なぜ「女性兵士」といえばソ連なのか

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第二次世界大戦において「女性兵士」といえば、多くの人はソ連赤軍を思い浮かべます。狙撃手や戦車兵、飛行士として前線に立った女性たちは、戦争史上でも異例の規模と制度を持つ存在でした。
なぜ、女性が正式に戦闘員として国家に動員されたのはソ連だけだったのでしょうか。
その背景には、独ソ戦の苛烈な戦況による男性兵力の不足、国家総力戦体制のもとでの全市民戦力化の必要性、そして社会主義国家としての男女平等の理念があります。
赤軍は単に戦力不足を補うだけでなく、政策として女性の戦闘参加を正当化し、組織的に訓練・前線配属しました。その結果、数千人規模の女性狙撃兵や戦車兵、飛行士が誕生し、戦争の現場で実際に戦果を上げています。
とくに赤軍の女性狙撃手の事例は以下の章で紹介しています。

以降の章では、戦況や思想、他国との比較を通して、なぜソ連だけが女性を戦闘員として制度的に動員できたのかを詳しく見ていきます。
第1章:戦況と女性戦闘員の総動員
第二次世界大戦での独ソ戦は、戦線が広大で戦闘も極めて苛烈でした。開戦当初からソ連は多大な人的損耗を被り、前線に立てる男性兵士の数は急速に不足しました。
そのため、国家としては戦力を最大化する必要があり、男性と女性の区別を超えた総力戦体制を構築することが求められました。現在の募集難により、女性の職種制限が完全撤廃された日本の自衛隊の状況と似ています。
当時の赤軍は、国内産業や兵站、通信を維持しつつ、前線への戦力供給を確保するために、女性の労働力だけでなく、戦闘員としての参加も制度的に認めました。これにより、女性は後方支援にとどまらず、狙撃手や戦車乗員、飛行士として前線で戦うことが可能になりました。
つまり、女性が戦闘員として動員された背景には、戦況が生み出した必然性がありました。人的資源の不足を補うだけでなく、国家の生存と戦争遂行のために、赤軍は女性を制度的に戦力化せざるを得なかったのです。
他の国の軍隊では
他方で、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本などでは、女性はあくまで補助的・後方任務に限定され、前線での戦闘参加は原則認められませんでした。
そのため、女性が前線で狙撃手や戦車兵、爆撃機パイロットとして制度的に動員された事例は、ソ連赤軍に限られるといえます。
第2章:イデオロギーとしての男女平等―“社会主義の戦争”
ソ連が女性を戦闘員として受け入れた背景には、単なる戦力不足以上に、社会主義国家としての理念があるといえます。
マルクス=レーニン主義に基づく「男女平等」の思想は、労働や戦闘において性別による制限を認めませんでした。国家としても、戦争における全市民の動員は当然の方針であり、女性の戦闘参加も理念的に正当化されました。
したがって、ソ連が女性を戦闘員として受け入れた背景には、「戦力不足」という現実的理由と、「社会主義国家としての男女平等理念」という思想的・制度的理由が重なっていると表現できます。
さらに赤軍の女性兵士は、国家の宣伝においても「祖国防衛の英雄」として称えられました。これにより、女性兵士の存在は単なる戦力補充にとどまらず、国民全体の士気を高める象徴的役割も果たしました。
こうした思想的・制度的な基盤があったことにより、赤軍は世界で唯一、組織的に女性の戦闘員を前線に動員することができました。
第3章:狙撃手・戦車兵・飛行士・・・女性戦闘員たちの運用例
赤軍では、数千人規模の女性兵士が前線で戦いました。狙撃手として知られるリュドミラ・パブリチェンコは約300人の敵兵を撃退した記録があり、ローザ・シャニナも前線で活躍しました。
戦車部隊では、女性が砲手や操縦手として小隊に組み込まれ、時には男性兵士と同じ戦闘任務を遂行しました。
「夜間魔女」と呼ばれた赤軍女性爆撃機部隊の実例
航空部隊では「夜間魔女」と呼ばれる女性爆撃連隊が活動しました。彼女たちは木製の複葉機で夜間爆撃を行い、敵陣への心理的圧力や実戦上の損害を与えました。
「夜間魔女(Night Witches)」とは、第二次世界大戦中にソ連赤軍の空軍で編成された女性爆撃機部隊、588夜間爆撃航空連隊(後に第46親衛夜間爆撃航空連隊に改編)に所属する女性飛行士たちの通称です。
ドイツ軍兵士が、彼女たちが夜間に無音で接近して爆撃を行うことから「夜の魔女」と呼んだことが名前の由来です。
同部隊は1942年に設立され、17歳から22歳までの115人の全員が女性で構成されました。パイロット、航法士、整備士などの役割も女性が担当しました。
使用した航空機はポリカルポフ Po-2 という木製の複葉機で、非常に低速・低高度で飛行できる機体でした。装甲や武装はほとんどなく、爆弾も小型(最大250kg程度)ですが、その低速・低高度特性を生かして夜間奇襲爆撃を行い、敵陣地や補給線に損害を与えました。
特徴的な戦術として、爆撃地点に近づくとエンジンを切り、滑空しながら静かに目標上空に侵入する方法がありました。このため敵は爆撃機の接近に気づきにくく、奇襲効果が高まりました。また、Po-2は低速で飛ぶため対空砲火や、比較的高速のメッサーシュミット戦闘機からの追撃を避けやすく、生存率をある程度確保できました。
連隊全体で夜間爆撃を数千回以上実施したと記録されており、それによれば、戦果も顕著なものがあったようです。とくにドイツ軍には大きな心理的圧力を与えました。
パイロットの中には、戦争終結までに30~40回以上の任務を遂行した者も少なくありません。しかし、戦死者も30人が出ています。
こうして見ると、赤軍の女性戦闘員は単なる象徴や一時的な戦力ではなく、具体的な戦果を持つ前線戦力として重要な役割を果たしていたことがわかります。
第4章:なぜ西側諸国の軍は女性戦闘員を動員しなかったのか
一方で、第二次世界大戦中、ソ連以外の主要国では、女性を戦闘員として制度的に前線に立たせる例はほとんどありませんでした。
アメリカ、イギリス、ドイツなどでは、女性の兵役は原則として後方支援や補助業務に限定され、戦闘任務は男性が担うことが基本とされていたのです。
また、当時の日本に目を向けてみても同じです。日本の旧陸海軍において、制度上の正式な「戦闘員としての女性兵士」は存在しませんでした。戦闘員としての役割は女性に求められていなかったのです。
女性は主に「銃後(国内での支援活動)」や非戦闘任務に従事することが期待されており、女学校生徒の勤労動員などが主でありました。
ただし、軍属として戦場へ看護婦として派兵された女性は多数いました。沖縄では、女学生が「ひめゆり学徒隊」として動員されました。また、陸軍では「女子通信隊」が存在し、無線や電話の通信任務に従事しました。
もちろん、これらは直接的な戦闘任務ではなく、したがって、日本軍に戦闘員としての女性兵士や狙撃手は存在しないものとされています。
唯一の例外的存在としては、敗戦末期に民間人女性を「義勇隊」や「愛国防衛隊」として動員する計画(女子挺身勤労隊など)がありましたが、これは正式な軍人ではなく、戦闘訓練もほとんど行われていません。
西側諸国や日本で女性が戦闘員として動員されなかった理由は、いくつかの要素が重なっています。まず文化的背景として、性別に基づく役割分担の意識が根強く、前線で戦うのは男性の責務という考えが一般的でした。
次に軍制上の制約として、既存の部隊編成や訓練制度は男性中心に設計されており、戦闘員として女性を組み込むためには大規模な制度改革が必要でした。
しかし戦時中にそれを実施する余裕はなく、戦力不足を補う手段としても現実的ではありませんでした。
さらに政治的な面でも、女性を前線に送ることは国家としてのイメージや社会的反発と直結するため、戦略的に選択されませんでした。その結果、女性は看護、通信、工場労働、補給業務など後方支援の役割に限定され、前線で狙撃手や戦車兵、飛行士として戦うことは基本的に認められませんでした。
こうして比較すると、ソ連赤軍が女性戦闘員を組織的に動員できた背景は、単なる人的損耗の補填だけでなく、社会主義国家としての思想や国家総力戦体制の柔軟性に依拠していたことが明らかになります。他国では文化、軍制、政治の制約が重なったため、赤軍のような例は生まれなかったのです。
第5章:戦後の女性兵士への影響

Women in the Russian and Soviet military
戦後、ソ連の女性戦闘員たちは一度に前線から退き、社会に復帰しました。
彼女たちの存在と功績は忘れられることなく、戦争記録や歴史書、証言集で伝えられ続けました。狙撃手のリュドミラ・パブリチェンコやローザ・シャニナ、そして「夜間魔女」と呼ばれた女性爆撃機部隊は、戦後の軍事史研究や博物館展示で象徴的に取り上げられています。

Russian girls in Putin’s Young Army in Murmansk, 2018
また、赤軍の女性兵士の実例は、戦後の社会や軍隊における女性の役割に影響を与えました。ソ連崩壊後も、ロシア連邦軍では女性兵士の任用が徐々に拡大し、医療や通信だけでなく一部の戦闘職種への参加も可能となっています。
さらに、ウクライナ軍においても女性の前線参加が報告されており、赤軍での経験は現代にも一定の影響を及ぼしています。
しかし、戦後の国際的な軍制度では、赤軍のような組織的な女性戦闘員の前線配備は例外的であり続けました。
そのため、第二次世界大戦におけるソ連女性兵士の事例は、軍事史における特異な存在として評価されています。
制度的・思想的背景と戦果の両面から見ても、赤軍の女性戦闘員は単なる補助要員ではなく、国家総力戦の中で重要な戦力として位置づけられた存在だったのです。
まとめ
ソ連赤軍の女性戦闘員は、狙撃手、戦車兵、飛行士といった前線任務に制度的に参加した、世界でも稀有な存在です。戦況による総力戦の必要性と社会主義国家としての男女平等理念、そして訓練制度の整備が重なったことで、女性は単なる補助要員ではなく、戦力として活躍しました。
他国では文化・軍制・政治の制約から前線参加は限定的でしたが、赤軍の例は、戦争における女性の可能性と歴史的意義を示すものとして、今日でも重要な記憶となっています。
なお、現代の日本お3自衛隊においては、全ての職種において女性隊員の配置制限を撤廃しており、狙撃手としての女性自衛官も陸自第7普通科連隊などで誕生しています。


