深夜のHF帯チューニングにはご用心
各国の情報機関では、世界各地に潜伏する工作員に対して、短波(HF)帯の無線機で数字の列や、NATOフォネティックコード(アルファ・ブラボー・チャーリー…)、あるいは意味不明な音声や信号を毎晩送っています。
これらの秘密指令は「ナンバーステーション」とも呼ばれており、2025年の現代でも各国で運用されています。今回はその実態の一端を解説します。
本記事では、短波(HF)帯無線における国家間の諜報活動に関連すると報道等で指摘されている特殊な無線通信やラジオ放送の事例を紹介しています。受信にあたっては法令を遵守し、違法な通信活動を行う外国政府に協力することのないよう、十分ご注意ください。
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HF帯とその性質
HF帯(High Frequency)は、電離層反射を利用して地球の裏側まで電波を到達させることができる短波通信の世界です。
この特性を活かし、世界中の航空管制当局、海運業者、海事機関、そしてアマチュア無線局などが合法的に通信を行っています。
しかしこの広大で匿名性の高い周波数帯には、しばしば非合法な通信も存在します。
諜報活動とHF帯
とりわけ、諜報機関が工作員との秘密連絡に使用するケースは昔から知られています。
これらの通信は、アマチュア無線局のふりをした偽装交信や、許可されていない周波数(オフバンド)を使った違法なやり取りという形で行われることも。
事実、かつて日本でも、「グリコ・森永事件」の容疑者とされる者たちが、7MHz帯のオフバンドで交信していたという情報があり、アマチュア無線家が偶然それを傍受・録音し、警察に届け出たという実例もあります。
このような通信は、当然ながら非公然かつ非合法なものです。
歴史にみる“無線スパイ戦”
この種の秘密通信の歴史は古く、代表的なものに1940年代の「ゾルゲ事件」が挙げられます。
そしてその最盛期はやはり冷戦時代。
当時の東西両陣営は、スパイ映画さながらの暗号化された通信を、HF帯を使って頻繁に行っていたのです。
さらに第二次世界大戦中には、各国が敵対国の国民に向けて、いわゆる“地下放送”や“プロパガンダ放送”を行っていました。
我が国も例外ではなく、誇張やデマ、扇動的内容を含む謀略放送が行われていた記録も残っています。
現代に残る“謎の通信”
今日においても、HF帯では不定期に周波数を変えたり、長期にわたって同一周波数を使用したりする“謎の局”が存在します。
さらに、復調が極めて困難な高度に暗号化されたデジタルモードによって、通信の機密性が確保されています。
こうした特異な通信が、HF帯全体にどこか得体の知れない、ミステリアスなアンダーグラウンドの雰囲気を漂わせている理由の一つなのです。
不明な通信や放送の種類
不明な通信にはアマチュアバンドとそのオフバンドによる『アンカバー』、音楽愛好家による不法な『海賊放送』があります。
さらに、敵国の一般民衆に自国の主張を伝えるための『地下放送』、ある国の工作員や諜報員(スパイ)へ、指令などを暗号で伝えるための『乱数放送』など、世界的に大がかりな謀略めいたものも。
これら、理解し難い奇妙な内容の一方的放送または秘密通信を行い、自局のコールサインを明示しない不明な無線局、あるいは偽装する無線局を逃すまいと、耳をそばだてているのは世界中の短波ラジヲを愛好するBCLマニア、それにアマチュア無線家たちです。
アンカバー
アマチュア無線におけるアンカバーとは、指定された周波数外で交信をする不法無線局のこと。以下の記事で解説しています。
海賊放送
東西対立と民衆のフラストレーションが生んだ歴史
不正規の放送という事象をオーバーシーで俯瞰した場合、その時代の国際情勢に注意を払う必要があります。
通常、ラジオ放送は国から正規に免許されたラジオ局が行いますが、それ以外の個人や団体が行う非正規の放送が『海賊放送』です。
東西対立の激しかった当時のソ連型社会主義圏であった東欧の国々。
それらの国の人々にもアメリカのポップスを好む人は多くいました。
しかし、民主主義陣営である西側の文化に東側陣営諸国の人民が感化されることを東側当局者が恐れ、厳しく規制。
当然、国営放送のような正規のラジオ番組では西側の曲は検閲により放送不可。
したがって、それらの人々のフラストレーションが海賊放送を発生させた理由の一つと考えられます。
日本では東西対立はあまり関係がないものの、音楽やディスクジョッキーを好む個人が、正規に放送免許を得ずに無許可でFM局を模倣した形態で行う不法無線局の例があります。
1979年の八王子市の『FM西東京(JONT-FM)』、1985年の東京都港区の『KYFM』、2011年の日野市の『JOUT-FM百草』の摘発例はいずれも国内の海賊放送の代表例。
地下放送
謀略放送とも。陰謀めいた大掛かりな心理戦の一環
『地下放送』も東西対立の激しかった過去、東西陣営で顕著に見られ、特定の社会的、政治的、文化的なメッセージを伝える対外宣伝目的で運営されました。
多くの場合、放送団体や送信所の所在地を偽装し、あたかも正規の放送のように見せかけた上で、ある国が敵対国の国民へ一方的な主張を伝えるためのプロパガンダを目的として放送されます。その目的から謀略放送とも呼ばれます。
戦時中に多く見られ、敵対国政府の検閲を回避しやすいことから、敵対国の戦況劣勢を伝えたり、自国の強大性や発展を誇示するなどして敵対国の国民や兵士を欺き、その情緒に訴えて心を挫き、厭戦ムードに持ち込む情報戦でした。
例として戦時中の日本政府が行った『ゼロ・アワー』があります。
軍事工作目的と推測される無線局

上述のナンバーステーションによる乱数放送などは工作員への指令という明確な目的があり、非公然の無線局ですが、軍隊が行う暗号通信も、実に奇妙です。
乱数放送
一般に、解読不可能な乱数を読み上げる無線局をナンバーステーションと呼びます。
もちろん、世界各国へ潜入中の工作員への指令が目的です。
世界にはナンバーステーションの事例がいくつかあります。
『リンカーンシャー・ポーチャー』
イギリスの諜報組織・MI6がキプロスから運用していたとされる『ナンバー局(Numbers Station)』です。
『UVB-76』
ロシアのモスクワ近郊の村から4625kHzまたは6998kHzにてブザー音が発信されるUVB-76″ザ・ブザー”も、『ナンバー局(Numbers Station)』とされています。
おそらく、世界で最も短波放送受信マニアから注目度が高い無線局です。それゆえに妨害が行われることもあるようです。
『A3放送』
日本人拉致との関連性を指摘されているのが北朝鮮のA3放送です。
おそらく、世界で最も短波放送受信マニアから注目度が高い無線局です。それゆえに妨害が行われることもあるようです。
この乱数放送は北朝鮮国営の放送局から放送されるものでした。
現在は形を変え、品を変え、あらゆる方法で伝達を試みているようです。
『米空軍のHF-GCS』
米空軍が頻繁にHFで運用する『HF-GCS』は明確な軍事通信です。『スカイキング』なる謎のコールサインで「答えるな」と命令するやいなや、不明なコードを日本を含む世界の米軍基地から同時かつ一方的に発令します。人類終了という暗い未来を感じさせる「終末通信」と言えます。
『Japanese Slot Machine(ジャパニーズスロットマシン)』
日本の怪電波発信源です。
電波妨害・電波ジャック
とくに軍事やテロなどにおいて、敵軍や警察など治安機関の無線局が使う周波数に同じ周波数を大出力で送信し、その無線通信、ミサイルの誘導などを意図的に妨げる行為を電波妨害と呼び、軍事の分野では電子戦とも呼ばれます。
前述のロシアの軍用無線局に対して日本の美少女アニメの主題歌を流しかけられた事案はまさに本来の無線通信や放送が第三者に乗っ取られた電波妨害の例ですが、一般的な軍用の妨害装置から送出される妨害電波自体は意味のない信号であるため、この記事における『傍受』とはあまり関連がありません。
ただし、電波ジャックの場合はなんらかの政治的メッセージ性が含まれる場合があります。
軍用無線局・警察無線局への電波妨害・電波ジャック
各国では陸海空軍に電子戦に対応した妨害電波送信装置が配備されており、日本でも航空自衛隊および海上自衛隊に電子戦機が配備されています。また、日本の治安情勢に関しては昭和59年7月、滋賀、京都、奈良、和歌山の各府県警察無線が日を変え時間を変えて電波妨害を受けたほか、同年9月19日、自民党本部が中核派の非公然組織である「人民革命軍」に襲撃された『自由民主党本部放火襲撃事件』において、ほぼ同時に警視庁の複数の警察無線の電波が約40分間の電波妨害を受けて警察活動が混乱する騒動も発生。
また、警察無線への妨害のうち、何者かがその電波を乗っ取った上で警察活動への不満を表明したり、日本警察と直接関係のない世界平和への祈り、さらに偽の指令を出す事例が過去にあり、これは電波ジャックと言えます。
放送局や防災無線への電波ジャック
メッセージ性のある電波ジャックという観点では、何者かが政治的主張を含ませた電波により、テレビ局などの放送局による正規の放送を不法に奪取し、乗っ取る事例も。
日本国内では85年に杉並区の防災無線が何者かにより電波ジャックされ、特定の選挙候補者が20分以上にわたって誹謗中傷される『杉並区防災無線電波ジャック事件』が発生しています。無線の起動用周波数にトーンスケルチ(制御信号トーン)を含ませた重畳(ちょうじょう)方式であった当時の防災行政無線は第三者による電波ジャックに無防備であったことから起きた事件です。
また、87年には米国イリノイ州シカゴで地元テレビ局のニュース番組「The Nine O’Clock News」の放送中、仮面を被った男が、奇妙な空間の中で意味不明の言葉を喋り続けたり、自らの尻を女性にムチで叩かせる不可解な映像が流れる『マックス・ヘッドルーム事件』が発生しています。あまりにも内容が意図不明であり、政治的主張があるのかは不明です。
2022年、ロシアウクライナ戦争では、ウクライナ支援を表明しているハッカー集団がロシア国営テレビ局のシステムをハッキングし、放送をのっとっています。
なお、日本では放送局に対する電波ジャックを「放送信号割り込み」と呼びます。
わが国の情報機関による傍受体制
このように外国政府工作機関、工作員等による非公然な通信や放送は日本国内の工作員への指令に使われている可能性があるため、国家の安全保障を担う情報機関(諜報・防諜を担う公的機関)や捜査機関による傍受体制が行われています。
我が国政府において非公然な通信や放送の監視を担う機関には自衛隊情報本部、警察庁警備局があり、それらを統括するのが前述の組織から出向した職員で構成された内閣情報調査室の国際部と考えられます。
また、このような外国の無線通信などを傍受、分析する作業をシギント(SIGINT; Signal Intelligence)と呼びますが、 日本各地にあるそれぞれの機関の傍受施設で諜報や防諜スペシャリストらが、戦後から現在まで長年にわたって傍受、分析しており、その詳細なプロトコルやアルゴリズムに関する知見も有しているとされます。
日本とソ連・北朝鮮との間の情報交換を無線でやり取りしているのでは、との疑いを当時の公安警察は厳しく監視していた。
引用元 アイコム株式会社公式サイト https://www.icom.co.jp/personal/beacon/ham_life/ja3ig/5035/
また一方では、国際的な無線愛好者グループや民間のシギント専門家などもHFアマチュア無線機や通信型受信機を用いてA3放送を受信し、その解読や解釈を試みてきましたが、生成された乱数や文字列がランダムであること、そもそもとして乱数表の入手が極めて困難である事情から暗号の解読、複合が難しく、外部のアマチュア無線愛好者や興味本位の解読者がこれらの放送をモニタリングして解読しようと試みても、内容を正確に復号することは困難と言え、一般にはこれら北朝鮮政府の行う非公然通信の全容は依然として不明です。
まとめ
このように、HF帯は合法的な無線通信の主戦場であると同時に、歴史と影に彩られたもう一つの顔を持っています。あなたが無線のダイヤルを回すたびに、そこには現実と非現実の境界が静かに広がっているのです。
全世界を支配する巨大な意志の断片にHFを通して触れてしまった者に忍び寄る恐怖と魅惑。どこまで追うか、戻れるうちにやめるべきか。
しかし、アマチュア無線家としてHF通信の重要性を考えると、非合法なものや陰謀論的な見方ではなく、アンテナやDXなど技術的な視点から正しく理解したいもの。
したがって、これら非公然の放送や軍事通信の傍受に関しては是認されるべき個人の趣味の範疇と考えられますが、その目的はあくまでHF帯通信における電波伝搬の技術的研究にとどめたいもの。
傍受者自身と当該工作機関の間には十分に適切な社会的距離を保ち、特定国政府の主義主張、思想に感化されたり、安易に共感しない姿勢が必要です。
とくに北朝鮮等、対日有害活動を行う外国政府への親疎の態度によっては警察のみならず、自衛隊による監視対象となる可能性があります。
市民の監視は陰謀論ではなく、我が国の治安政策において実際に行われている情報保全および情報収集活動の一環と考えられています。