アンカバーと近代以前の日本のアマチュア無線事情
アマチュア無線では、それぞれの周波数バンドにおいて、使用できる帯域が細かく決められており、すべてのアマチュア局はその範囲内でのみアマチュア業務を行うことが許されます。
許可されない帯域での通信は『オフバンド』と呼ばれ、禁止されているにもかかわらず、それを行うものを『アンカバー(アンカバー局)』と呼びます。我が国の電波法上では『不法無線局』として摘発の対象となります。
米国では大正3年にARRL(米国アマチュア無線連盟)が生まれ、3年後に会員数は実に4000名を突破するなど活発にハムが文化として根付き始めました。
一方、そのころの日本ではまだまだ「アマチュア無線家」は数えるほどしかいませんでした。それもそのはず、大
正4年に無線電信法が施行されたものの、正式なアマチュア無線の免許制度はまだ存在していなかったのです。
当然、許可を得ない個人の電波の発射は不法無線局となり、当局からの摘発対象となりましたが、日本で最初にアマチュア無線の免許が発効されたのは昭和2年9月ですから、これ以前の通信はすべてアンカバー扱いで、大正4年が正式なアマチュア無線の発足なのか、それとも後年の昭和2年なのかは議論の分かれるところです。
この当時のアンカバーであった無線家たちにはソニーの創業者である井深 大(いぶか まさる)氏や、放送局関係者など技術人たちがやはり多かったようです。その後、大正15年(昭和元年)になると日本でもJARL(日本アマチュア無線連盟)が発足しました。
戦時中は当然ながら、国内でもアマチュア無線家の自由な通信は政府の方針によって厳しく規制され、アマチュア無線家たちの無線機には当局から封が貼られたとのことです。一方では、アマチュア無線家が「国防無線隊」として徴用され軍の演習に通信訓練で参加するなどの活動を行っていました。
参考文献 アイコム公式サイト
https://www.icom.co.jp/beacon/backnumber/electronics/002.html
ただ、違法なアンカバー局と一言で言っても、私たちがかつてインターネット黎明期の「2ちゃんねる」を楽しんだように、彼らの大半はアングラの感覚を楽しみたい悪のりに熱を上げる者が多数で、電波法には反するにせよ、実際には営利目的の通信、各国のスパイ工作機関とその工作員とのやりとり、それに犯罪者グループによる犯行の打ち合わせなどといった通信に比べればまだ可愛げがあったと言ってしまっては、同じ電波法違反に大も小もないとお叱りを受けても仕方ありません。
さて、アマチュア無線で許可された7MHz帯はコンディションにもよる空電のひどい時間を除けば、その交信距離は全国規模で、アマチュア無線家には人気です。
この『ノリ』が当時の7MHzの一端を垣間見れる”歴史的物証”の一つかもしれません。4歳の少女『アラレちゃん』はともかく、彼女より年上と思われる声の主、誰一人登場人物は正規のコールサインを発しません。出ている周波数が正規のアマチュアバンドではないので、言えるはずもありませんが、それでもメリット交換はしているのが最低限の礼儀なのでしょうか。当時、1982年。彼らのニックネームには世相が反映されており興味深くもあります。
さて、オフバンドによるアンカバー通信が行われる目的は、免許された正規の帯域では利用者が多かった当時のアマチュア無線の活況ぶりがあります。つまり、周波数に空きがなかったり、他の正規局からの傍受を防ぎたい思惑もまたあったと考えられます。
とくに携帯電話やインターネットがなかった時代はアマチュア無線が手軽な連絡手段となっていたことから利用者が多く、それ故に第三者からの傍受もまた多かった理由もあるでしょう。当然、通常のアマチュアバンド内で、電波法に反する通信をしようものならば、正規のアマチュア局に警察や当時の電波監理局へ通報されますから、それを防ぐために彼らはオフバンドに移動したと考えられます。
というわけで、まさに『犯罪者グループによる犯行の打ち合わせにアマチュア無線によるオフバンド通信が秘密裏に行われた』という事象とその考察が、今回の記事の要旨になります。
グリコ・森永事件の犯人とされる者とオフバンド通信
このアンカバーによる奇妙なオフバンド通信の一つには1984年・1985年に起きた企業脅迫事件『グリコ・森永事件』に関連したものがあります。同事件を巡っては、犯行車両に警察無線が受信できるように改造されたアマチュア無線機が遺留品として残されていたほか、同事件の犯人と推定される者たちが、84年の10月に430MHz帯域、さらに同年12月に7MHz帯付近のオフバンド帯で犯行の打ち合わせらしき通信をしたことが、当時のアマチュア無線家や捜査当局を大いに注目させたのです。
彼らが名乗ったニックネームは『玉三郎』と『かいじん21面相』。
当時、北海道や大阪の正規のアマチュア局が偶然これらの通信を傍受し、捜査当局へ情報提供を行ないましたが、のちの犯人と称される人物から報道機関に届いたとされる手紙には『無線マニア』を自称していたという報道もあります。
さて、えも言われぬ不気味さの一方で、どこか間の抜けたニックネームの響きに冷笑もしてしまう1984年に行われたこの奇妙なオフバンド通信。ご存知の通り、グリコ・森永事件は未解決のまま控訴時効を迎え、今もって犯人の所在も生存も不明です。
なお、オフバンド通信への取り締まりですが、現在と当時を比べると、摘発する側である総合通信局による補足の精度は格段に上がっており、複数のセンサ局によって電波の発信源を同時に探査することで、ほぼ一瞬にして不法無線局の場所が判明します。
したがって、通信手段の多様化もあるにせよ、現代では当時のようなオフバンドによる犯罪に関する通信は比べるまでもないでしょう。
とは言え、現在でも各国の工作員の秘密裏の通信に使用される例もあるオフバンド通信。犯罪者に北朝鮮。アングラな世界に足を踏み込む際は、くれぐれもご用心を。