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2008年に公開されたスタジオジブリのアニメーション映画『崖の上のポニョ』は、子供向けのファンタジー映画でありながら、災害や緊急時の対応について考えさせられる要素が含まれています。
そう。私たちアマチュア無線家にはお馴染みのあのシーンです。
今回は本作で描かれるアマチュア無線運用シーンを災害時の情報伝達手段という観点から取り上げ、また主人公である5歳の宗介に関して個人的推察を行いました。
なお、この記事内に掲載している『崖の上のポニョ』の画像については、スタジオジブリに著作権があります。記事内において同作品の批評を行うため、著作権法で認められた引用を行なっております。
アマチュア無線が災害時に有用である理由を描いた『崖の上のポニョ』
アマチュア無線家にとって、この作品を無視できない理由はもちろん唐突に登場する『ハム』。
主人公である5歳の少年・宗助の母、リサ(声・山口智子)が嵐による停電の中、ポータブル発電機を動かして家庭内の家電に電気を供給し、アンテナを設置した上でアマチュア無線機を扱い、内航船『小金井丸』の船長である夫の耕一を呼び出すシーンはもう無線家の間ではお馴染みですよね。
リサのこの行動はサバイバビリティに長けた頼りがいのある成人女性に描かれる一方、一見不安を紛らわすための一種の現実逃避に見えるかもしれません。
また、あくまでリサの呼び出しは一般的なものであり、災害時に行われる非常通信ではないことにも注意が必要です。
しかし、アマチュア無線で外部と連絡を取ろうとする姿は、リサの強い母親像と共に災害時における情報と備えの重要性を示しており、視聴者に対して防災意識を喚起しています。
1. 強い母親像の強調…しかし、強すぎではないかとの意見も
非常事態に必要な措置を迅速に取ることができるリサの強い母親像。
これは、母親として家族、とくに子どもを守るための強さを強調しています。
とはいえ、道路維持関係者の静止を振り切って、浸水している危険な道を敢えて突破するなど、あまりに強すぎる母親象はとくに女性側から批判される点も。
また、意味もなく速度を出すリサの比較的スピード狂的行為が助手席の宗介を危険に晒しているのではないかという意見もあります。
2. サバイバル技術と知識の裏付け
子どもの身を守るという点では知識の重要性もポイント。
リサが冷静にポータブル発電機を動かして電気を確保し、アンテナを設置してからアマチュア無線機を運用するまでの一連の流れは、知識の裏付けとサバイバル技術の高さを示しています。
また、災害時における有用な情報伝達手段としてのアマチュア無線の重要性を観客に伝えるものです。
なお、以下の記事で紹介している漫画作品でも、まさにアマチュア無線が登場し、女性救助隊員による知識の裏付けが人命救助に役立っていることを描いています。
無謀な放任主義か信頼か。リサの行為から見る筆者の大胆な推察
職場である介護施設が津波の被害を免れたか心配だったからとはいえ、『5歳の幼い息子を家に1人置いて職場に向かった』というリサの行動には多くの批判があり、母親として失格ではないかとの声も多いものです。
リサが宗介を崖の上の自宅に残していった理由は『真っ暗な中にいる人を光で励ますため』と彼女の口から語られています。
リサの自宅が実質的に“海上保安庁の施設”になっている
これも興味深いのですが、事実上、リサのあの“崖の上”にある自宅は船の航路標識、すなわち灯台と同じ役割を緊急時に果たす存在として描かれています。
昔は灯台守という仕事がありました。これは灯台を維持管理するために灯台の近くの自宅に住み、24時間船の航行の安全のために寄与するという仕事です。
現在、灯台の維持管理は海上保安庁の業務になっており、有人灯台も2006年の女島灯台を最後に全て自動化され、灯台守は消滅しました。
「今、この家は嵐の中の灯台なの。真っ暗な中にいる人は、みんなこの光に励まされているわ」
停電で真っ暗闇の中、リサが宗介に対して発した言葉です。
リサは海上保安庁から委託を受けて“民間灯台”をしているわけではなく、あくまで彼女のボランティア精神でしょう。
なぜ彼女が自宅に発電機や投光器を備えているのか、アマチュア無線の資格を取得し無線を運用しているのか容易に理解できるはず。
船乗りの夫はもちろん、多くの人の身の安全を守るためでしょう。
とはいえ、5歳の子に灯台守を任せる母親の選択。正しいか否かは筆者は容易には判断できません。
それは別として、リサが宗介ひとりにそれを任せられる理由の一つが以下の点ではないでしょうか。
あくまで筆者の考察になりますが、おそらく宗介もリサ同様、アマチュア無線の資格を持っていたからではないでしょうか。
些か不名誉な物言いですが、4アマは試験が最も優しい国家資格です。
5歳の宗介が4アマでも不思議ではありません。
むしろ、宗介がモールス符号を理解し、投光器による発光信号でそれを使いこなしている姿を考慮すれば、3アマの可能性もあります。
幼い子どもであっても、実際に親の影響や興味から無線技術を学び、実際に免許を取得しているケースは少なくありません。
このような背景を持つキャラクター設定が、家族の絆をさらに強調する役割を果たしている可能性もあります。
余談ですが、下記のアニメ作品「ミームいろいろ夢の旅」に登場する小学生のキャラクター2人は、使用している周波数帯から上級資格である2アマもしくは1アマとして描かれています。
リサと宗介は離れていても、万が一の際は無線によって互いに安否確認したり、助けを求めることができるからこそ、リサは水も食料も無線機も発電機もある崖の上の安全な家に宗介を置いていったということに他ならないのではないでしょうか。
したがって、リサの放任主義と言い切ってしまうのは些か早計だと思います。
あとは出先のリサ側に無線設備があるか否かですが、見た限りリサの自家用車ミニカトッポにモービル機が付いていたり、アンテナが上がっていたりは不明。
しかし、ハンディ機の1台ぐらい車に積んでいたり、職場に置いていても不思議ではないと思います。
ミニカトッポは色々なものを積んでいましたし、トランクルームに移動運用セットが一式納まっていたりするのかなと想像すると楽しいもの。
また「崖の上のポニョ」では、彼ら親子が名前で呼び合ってるのも特色。
この『家族が名前で呼び合う』という事実を無線のコールサインに関連付けて考えると、彼らが日常的にアマチュア無線でお互いをコールサインで呼び合っていることのダブルミーニングを示唆しているのではないかとも筆者は推察しています。
ただし、台本には「普段全然使っておらず本に埋もれている無線機」というような一文がありますので、原作の設定を半ば無視した筆者個人の完全なる推察であることはご容赦ください。
なお、「こちらはJA4LL、JA4LL。コーイチ聞こえますか?」というリサの呼び出し方はおかしいとも言えますが、当の無線機メーカーのアイコムでは「JA4LL 聞こえますか」と記載しており、「耕一側のコールサインがないこと」にまったく言及していない中で、当方が敢えてする必要はないと思われます。
https://www.icom.co.jp/personal/beacon/talk/793/
余談
91年公開の『七人のおたく』という映画があるのですが、こちらも無線の受信を趣味とするオタクが描かれている興味深い作品であるため、当サイトでご紹介しています。
実は同作にも何故か山口智子は「りさ」役で出演。
もっとも、こちらのりさはアマチュア無線従事者ではなく、消防無線を嬉々として受信している無線マニアの女子中学生に絶句する「普通の女性会社員」という役柄でした。
さらにこちらも余談ですが「崖の上のポニョ」に見られる”ハムにハムをかける”原点は、どうやら1956年に製作された映画『空と海の間に (原題 Si tous les gars du monde)』にあるようです。
『空と海の間に』は人名救助に奔走する世界各国の人々を描いた作品ですが、発端は”ハム”のボツリヌス菌、そして病原菌に犯された船員たちを救うのも”ハム”、つまりアマチュア無線家たち、という作品なのです。
日本でも1989年、明らかに『空と海の間に』をリメイクしたと思われる『空と海をこえて』という題の2時間ドラマが放映されています。
沖縄八重山諸島の島『新城島』へキャンプに向かった子供たちが現地調達の食材と調理の不備が元でボツリヌス中毒に。電話機は壊れていて連絡ができません。
しかし、電話回線は生きており、持参したノートパソコンとモデムを接続し、BBSに『SOS』のメッセージを書き込んで助けを求めます。
ボツリヌス中毒の発生と血清を緊急に届けるという内容は原作とほぼ同じですが、こちらは当時最先端であったパソコン通信とBBS(チャットルーム)による書き込みが人命救助につながるというストーリーであり、アマチュア無線は登場しません。
血清はフランスのパスツール研究所にしかない特別なG型。人々の善意で遥々フランスから成田空港へ届いた血清は千葉市消防局に託され、同救急車にて近隣の自衛隊基地へ運ばれ、陸上自衛隊の大型ヘリが飛び立つ場面と、新たな学期を元気に登校する子供たちの笑顔で締めくくられます。なお、学校の先生役は加藤茶さん。
まとめ
以上のように、『崖の上のポニョ』を災害という非常事態の面から取り上げ、崖の上のリサの自宅には象徴的な意味があるのではということを大胆に解釈してみました。
いずれにせよ、「崖の上のポニョ」では、ポニョの好物であるお肉の「ハム」、そして無線家の「ハム」をコラボさせているダブルミーニングが行われているというわけです。
そして、リサと宗介が日常的に名前で呼び合うことは、父親を含めて家族が日常的にアマチュア無線で交信し、お互いをコールサインで呼び合っているということのダブルミーニングを示唆しているという解釈はあくまで筆者個人の推察に過ぎません。
2011年に東日本大震災が発生して以降、本作は数年にわたってテレビ放映の自粛が行われた事実は何とも皮肉なものですが、大規模災害のような困難な状況においてこそ冷静な対処が重要です。それをしっかりと描いている本作は今でも色褪せない作品と言えます。