国際平和協力活動で隊員たちが現地で食うメシ事情

自衛隊は、国際連合が紛争に介入する際に実施する国際平和協力活動、すなわち国連平和維持活動(PKO)や、大規模災害時の救援における海外人道支援活動など、広範な国際任務を展開している。

自衛隊による国際平和協力活動

UNDOF(国連兵力引き離し監視隊)

UNDOFとは「United Nations Disengagement Observer Force」の略称であり、シリアとイスラエル間の停戦監視を行うため、ゴラン高原にて国連が展開するミッションである。日本はこのミッションに後方支援部隊として参加しており、主な任務内容は道路補修、輸送業務、ならびに物品の管理であった。派遣期間は17年にわたり、延べ1,700人の自衛官が参加し、人道的支援に貢献した。

MINUSTAH(国連ハイチ安定化ミッション)

MINUSTAHは「United Nations Stabilization Mission in Haiti」の略称であり、2010年に発生したハイチ大地震を受け、同国の治安安定と復興支援を目的に展開された。日本は2,200人規模の部隊を派遣し、現地において道路の補修、医療支援、ならびに生活基盤の復旧などに従事した。

UNMISS(国連南スーダンミッション)

UNMISSは「United Nations Mission in the Republic of South Sudan」の略称で、2011年に南スーダンが独立したことに伴い発足した。同国の安全確保と人道支援を目的としたミッションであり、日本は首都ジュバに施設部隊を派遣し、主に道路工事を担当した。なお、この派遣においては、韓国軍への自動小銃用弾薬1万発の提供が行われたが、これは自衛隊による弾薬提供として史上初の事例であった。同ミッションには、日本を含む約70カ国から約7,500人が参加している。

UNMIT(国連東ティモール統合ミッション)

UNMITは、2002年に独立した東ティモールの治安維持および国家建設支援を目的に展開されたミッションであり、日本からは8名の陸上自衛官が派遣された。彼らは主に連絡調整および後方支援業務を担当した。

国際緊急援助活動

これらのPKO活動に加え、自衛隊は自然災害等による国際緊急援助活動にも従事している。活動内容は、医療や防疫を含む緊急的支援、並びに被災地への物資輸送などである。


海外派遣中の自衛隊員の食事事情――灼熱のイラク、そして初のカンボジア派遣

自衛隊の海外派遣において、過酷な現地環境の中で隊員たちがどのような食事を取っていたのかについても、いくつかの興味深い逸話が存在する。

イラク・サマーワにおいて

2004年、陸上自衛隊はイラク南部のサマーワにおいて人道復興支援任務を展開した。サマーワは当時、人口約13万人の都市であり、すでにオランダ軍が治安維持にあたっていたことから、比較的安定した環境であった。陸上自衛隊は宿営地を設営し、イラク国民への給水支援、学校の建設など民生支援を遂行した。

当初は、日本から持ち込んだレトルトパック式の「戦闘糧食II型」が主な食事であった。通常は湯煎で温めて食べるものであるが、イラクの猛暑では車両のダッシュボードに置くだけで十分に加熱されるほどであった。この高温環境のため、日本国内から持ち込んだ缶詰や日用品がしばしば“爆発”するというトラブルも発生した。

やがて数カ月が経過すると、クウェートなど周辺国からの生鮮食品の調達が可能となり、食事の内容は日本国内の駐屯地と大差ない水準にまで改善された。ただし、砂漠という過酷な環境下においては、ざるそばが「ぬるい」ことがしばしばであった。とりわけ、揚げ物の調理には隊員たちが神経を使い、温度管理を徹底していたという。このような状況でも、日本人らしいこだわりを持ち、粋に天ざるそばをすすることを欠かさなかった。

なお、サマーワはシーア派が多く居住する地域であったため、宿営地内ではアルコールの摂取は禁止されていたが、ノンアルコールビールは許可されていた。

また、サマーワ宿営地では「曜日感覚を維持する」ため、海上自衛隊の艦艇と同様、毎週土曜日には必ずカレーライスが提供されていた。これは長期派遣による生活リズムの崩壊を防ぐ一助として機能したという。

出典:『武士道の国から来た自衛隊』(産経新聞イラク取材班)

初のPKO派遣・カンボジアでの食事事情

1992年に実施されたカンボジア派遣は、自衛隊史上初の本格的な海外展開であった。派遣当初、隊員たちは日本式の飯盒炊飯を行い、白飯、レトルトのハンバーグ、さらに飯盒のふたで味噌汁を啜るという質素な食事で任務にあたった。

陸上自衛隊は活動拠点としてタケオ基地を設営したが、治安の悪さと飲料水の確保の困難さが深刻な課題であった。こうした中、海上自衛隊の艦艇がシアヌークビル港に停泊し、陸自隊員たちに対し、シャワーや食事などの支援を提供したことは、隊員たちにとって大きな助けとなった。

物資の補給体制が整備された後は、よりバランスの取れた食事が提供されるようになった。さらに注目すべきは、UNTAC(カンボジア暫定統治機構)参加各国による戦闘糧食コンテストにおいて、日本の「戦闘糧食II型」が世界各国のレーションの中で1位を獲得したという逸話である。この結果は、日本の食文化と保存技術の高さが世界的にも認められた証左といえる。

出典:『日本防衛秘録』(守屋武昌/新潮社)、『PKO戦記』(日本出版社)

自衛隊の演習で喫食される「戦闘糧食」って?陸自ではカンメシのI型がついに廃止へ!自衛隊の次世代野戦携行糧食を徹底解説!

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