元自衛官の女子ピストル射撃・小西ゆかり選手の「不屈の精神」

自衛隊の解説
Photo By JOC

射撃競技は、制限時間内にすべての弾を正確に撃ち込むという極めて精密かつ集中力を要求される種目である。

射撃競技は他者との競争というより、むしろ「自分自身との戦い」であり、心身の緊張と静寂の中でいかに平常心を保ち、技術を発揮できるかが問われる。自衛隊出身の射撃選手たちは、このような過酷な競技においても優れた成果を上げている。

🕊️ この記事について
この記事は、一人の元自衛官・射撃選手の人生という題材で、小西ゆかり選手をご紹介する“人物記事”です。内容は日本オリンピック委員会(JOC)や選手本人の発言記録、報道記事に基づいて構成されています。

自衛隊体育学校の出身である小西ゆかり選手は、2008年の全日本選手権女子25メートルピストル射撃において日本新記録を樹立し、優勝を果たした。

自衛隊体育学校―アスリートと体育指導者の育成機関
画像の引用元 自衛隊体育学校公式サイト自衛隊体育学校は、陸海空の3自衛隊合同で運営される体育専門教育機関である。アスリートの育成と体育教官の養成を担い、体育に関する調査研究も併せて実施する重要な役割を果たしている。体育に関する専門知識と技能...

小西ゆかり選手の歩みは、自衛隊員としての経験を契機に競技射撃に転じ、高い集中力と技術を武器にオリンピック出場を果たし、その後も指導者・普及者として活動を続けている。

しかし、小西ゆかり選手は自衛隊を退官後、民間の道へ進んだが、待っていたのは極めて厳しい現実であった。今回は彼女の知られざるキャリアを見ていこう。

MIL SPEC MAGAZINE(ミルスペック マガジン)vol.2 陸上自衛隊編 (ホビージャパンMOOK 283)

MIL SPEC MAGAZINE(ミルスペック マガジン)vol.2 陸上自衛隊編
(ホビージャパンMOOK 283) 4894258382 | ホビージャパン | 2009-03-31

小西ゆかり選手の生い立ち

小西ゆかり選手は1979年1月11日、北海道八雲町で生まれた。北海道立八雲高等学校卒業後に陸上自衛隊に入隊。

入隊直後、通常の小銃訓練などを通じて射撃の潜在能力が認められ、一般の部隊から「自衛隊体育学校」へと入校。2000年頃から本格的に競技射撃に取り組むようになったという。

このように、自衛官としての訓練・経験と競技射撃との接点が、彼女の射撃競技人生の基盤となったことが確認できる。

小西ゆかり選手がオリンピック出場

小西選手は、主にピストル・射撃(25mピストル・10mエアピストル等)選手として極めて優秀で、国内・国際の舞台に立っている。

2004年のアテネオリンピックでは出場予定種目 女子ピストル個人25mで予選19位、 またロンドンオリンピック(2012年)でも、女子10mエアピストル・女子25mピストルの代表として名を連ねた。

国内でも、2019年度には全日本ライフル射撃競技選手権大会にて10mAP40W優勝・25mP60W優勝という記録が残る。

競技において、小西選手自身が「60発同じ動作を続ける」「自分と銃口までの世界で、その動作をやるべき事をやって、その結果が標的に表れる」と語っており、射撃を「芸術的なスポーツ」と位置付けるストイックな意識を持っていることがわかる。

小西ゆかり選手の考え方

「納得のいく形で60発をすべて打ち切る」

一流の射撃選手として、小西選手は技術だけでなくメンタル面や日常の所作にも強いこだわりを持っている。

たとえば、「的を見てしまうと当たらない」「狙うと意識しすぎると動作が崩れる」といった自身の反省を公言している。

また、小西選手が「納得のいく形で60発をすべて打ち切る」というオリンピックに向けた目標を語っていたことが紹介されている。

また、自衛官としての経験が競技人生において重要な基盤であったことを、退官や競技専念という文脈で振り返る記事もあります。

自衛隊退官後の小西ゆかり選手

2009年3月に小西ゆかり選手は2等陸曹で自衛隊を退職。

自衛官時代には、エアピストルの弾薬費はすべて税金でまかなわれており、本人の負担はなかったが、退官後は一発あたり約35円(当時)の弾丸をすべて自費で賄わねばならず、年間の活動費は150万円近くにのぼった。

スポーツ関係の助成金や現役時代の貯蓄を切り崩しながら競技を続ける日々で、資金難から弾薬を節約するため「空撃ち」練習を取り入れざるをえなかったこともあるという。

また、生計のため朝霞駐屯地近くのラーメン店でアルバイトを試みたが、海外遠征のため出勤できたのはわずか6回。極貧状態に陥ることもあったという。

これには競技環境・資金面など、競技射撃というフィールドが抱える構造的な課題も背景にあるといえる。また射撃に使う機材、すなわち実銃や実弾の保有と管理など、一般的なスポーツでは想像しづらい運用上の制約がある旨の記述がある。

それでも小西ゆかり選手は競技を諦めず、射撃への情熱を持ち続けた。

民間企業で働きながらの選手生活を送る小西ゆかり選手

JOCによるアスリートの就職支援により、小西ゆかり選手は東京都内でタクシー業を営む飛鳥交通に入社した。

同社は小西選手を採用し、競技と仕事の両立が可能な環境を整えた。こうして彼女は再び、射撃に専念できる体制を手に入れることができた。

競技活動だけでなく、小西選手は若手選手のコーチングや指導員としての役割も担ってきたことがプロフィール上に記載されている。

また、競技人生を通じて培った集中力や自己理解を基に、射撃体験会の開催を提案するなど、競技普及・社会貢献にも視野を広げている。

2025年現在の小西ゆかり選手

小西ゆかり選手の公式ブログの2025年5月の記事にて、小西選手は「2011年から所属していた飛鳥交通株式会社を退職した」と報告した。

「契約更新に伴いアスリートを辞めるか会社を辞めるかの選択を迫られ、肩の故障や体調不良も重なり、一旦立ち止まる前向きな決断」として退職を選んだと述べている。

小西ゆかり選手は2025年9月に飛鳥交通を退社したが、現在も射撃競技・指導活動を継続している旨が記録されている。

終わりに

小西ゆかり選手の歩みは、自衛隊員としての経験を契機に競技射撃に転じ、高い集中力と技術を武器にオリンピック出場を果たし、その後も指導者・普及者として活動を続けている。

競技の世界では極めて繊細なスポーツである射撃において、「自分自身との戦い」「動作と心の一体化」という言葉が彼女の口から語られている点も印象深い。

小西ゆかり選手の歩みは、逆境にあっても信念を捨てず、困難を乗り越えて夢に挑戦する姿の象徴である。その姿は、スポーツに限らず目標を追うすべての人にとって、大きな励ましとなっている。

今後も、競技者としての活躍だけでなく、射撃というスポーツ文化・認知の拡大という観点からその動向を追いたい。

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