「自衛隊漫画」と聞いて、若い世代がすぐに思い浮かべるのは『ライジングサン』や『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』のような有名どころだろう。
だが、自衛官の日常を描いたリアルな作品や、意外な視点から掘り下げた作品は80年代後半から存在している。時はバブル時代。普通の人には馴染みのない自衛隊という組織を描いた漫画は意外な人気作となり、のちに自衛隊自らが協力して実写化されている。今回はそんな異色作「右向け左!」をご紹介する。
レビューは筆者の独断と偏見である。
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「右向け左!」は自衛隊という閉ざされた組織の内側を大胆かつリアルに描き出した異色作
もうこれ、国民への“愛すべき裏切り”だ!
1989年から1991年にかけて『週刊ヤングマガジン』(講談社)で連載された『右向け左!』は、自衛隊という閉ざされた組織の内側を大胆かつリアルに描き出した異色作だ。原作は元・少年自衛官である史村翔(別名・武論尊)、作画を担当したのはすぎむらしんいち。ギャグとシリアスを自在に行き来するこのコンビによる作品は、連載当時、現職自衛官の間でも「笑えるけどリアル過ぎて笑えない」と大いに話題となった。
物語の舞台は陸上自衛隊の新隊員教育隊。主人公の坂田2士は、現代の感覚からすれば「なぜ入隊できたのか」と疑問を持たれるような型破りな若者だ。だが、バブル期には「試験官が答えを教えることもあった」と語る元自衛官・大宮ひろ志氏の証言もあり、当時の採用事情が色濃く反映された設定と言える。
坂田は訓練を怠け、上官の女性自衛官に言い寄るなど数々の服務事故を起こす問題児であるが、対する班長の山口3曹は、昇進を目指す真面目な中堅隊員。中卒で工場勤務をしていた山口は、ある日、ぴんから兄弟に似た自衛隊広報官に口説かれ、数万円で親に売られ入隊を決意したという過去を持つ。そんな彼が坂田に手を焼きながらも、時には部下として守る姿は、単なる上官と部下以上の人間味を帯びた関係性として描かれている。
本作には、自衛隊生活の過酷さや理不尽さもストレートに描かれている。角刈りの班長に支配された営内、インキンに悩まされる衛生環境、64式小銃での発砲事件、さらには民間サバゲーマーによる奇襲訓練など、やばすぎるシーンの連続だ。こうした描写の数々は、当時の自衛隊における閉鎖性や問題の一端を浮き彫りにする。
坂田と山口の関係は次第に変化していくのも興味深い。両者には、かつての上司であり現在は共通の“敵”ともいえる徳山という男が存在する。坂田は長らく徳山に振り回されてきたが、物語終盤ではついに徳山に立ち向かう。単なるギャグ漫画では終わらない、人間関係の機微と成長がそこにはある。
『右向け左!』は、ギャグと暴力と人間ドラマが混在する混沌とした物語ながら、自衛隊という組織の内部をこれほどまでに赤裸々に描いた作品は稀有だ。今日の感覚では問題視されかねない描写も多いが、それだけに時代の空気や制度の隙間をリアルに感じさせる。表面的なミリタリー描写にとどまらず、自衛隊員たちの“生身”を描いた作品として、今こそ再評価されるべき一作かもしれない。
「右向け左!」をいま読み解く――バブル期自衛隊の影と光
1990年前後、日本はバブル経済の真っ只中にあった。企業は新卒学生を争奪し、官公庁は志願者の激減で苦戦していた。そして、民間就職を逃した若者の一部が、「手に職」や「衣食住完備」あるいは「非日常」を求めて自衛隊に志願した。当然、自衛隊側も歓迎する構図も珍しくなかった。だが、そうして集められた若者の中には、社会経験に乏しい者や、精神的に未成熟な者も少なくなかった。
そんな時代背景の中で生まれた『右向け左!』は、単なるギャグ漫画ではない。作者・史村翔(武論尊)は、少年自衛官出身という異色の経歴を持ち、作中の描写には私小説的なリアリティが滲む。作品に登場する登場人物たちは、皆どこか壊れており、同時に人間臭く描かれている。主人公・坂田2士はその象徴的存在であり、彼が繰り広げる破天荒な行動は、組織という枠に収まりきらない若者の衝動を体現している。
一方、山口3曹の存在は本作にもう一つの視点を与える。彼は自衛隊という組織の中で“順応”しながらも、過去を背負い、部下に対して複雑な感情を抱く。問題児・坂田を排除したいが、守るべき部下でもある。この矛盾は、組織に忠実であることと、人間としての情の間で揺れる「中間管理職」の葛藤と悲哀に通じる。
この作品を今の目で読み直したとき、読者はその過激さに面食らうかもしれない。パワハラ、体罰、服務事故、いじめの仕返しに手製の実弾と64式で――いずれも今日のコンプライアンス基準では許容されないだろう。しかし、だからこそ興味深くみられるのだ。
当時、自衛隊という組織は、今ほど外部への透明性が求められていたわけではなかった。情報公開制度も未整備であり、営内生活は一種の“密室”。『右向け左!』が描いたのは、その密室の中にある笑いと苦しみ、忠誠と裏切り、上意下達と人間関係のリアルな葛藤である。
興味深いのは、物語が“成長”だけで終わっていない点だ。坂田がただ更生するわけでもなければ、山口が出世してハッピーエンドを迎えるわけでもない。二人は敵対し、すれ違いながらも、最後には一つの目的のもとに共闘する。この構図は、いわば「信頼ではなく共通の敵によってつながる関係性」であり、組織内部における“対立と協力”の縮図と言える。
このように、『右向け左!』は時代の空気を色濃く反映した社会資料でもある。自衛隊の本質や制度の問題を告発するわけではない。むしろ、部隊という閉ざされた空間で生きる若者たちの“居場所”を探す姿を、時に滑稽に、時に真剣に描いた物語だ。
1992年のカンボジアPKO、1995年の阪神大震災、地下鉄サリン事件、そして2011年の東日本大震災と、自衛隊は災害派遣や国際協力などを通じて市民社会との接点を広げ、職業としてのイメージも大きく変化した。だがその一方で、いじめやパワハラ、自殺などの問題も絶えず、組織としての根本的課題は依然として存在している。
だからこそ、『右向け左!』は現代の読者に荒唐無稽なギャグを装いつつ、問いかけるのだ。――組織とは何か、規律とは何か、人間が自由であるということは、どういうことなのか。そうした根源的な問いが、30年以上の時を経て、今なお読み継がれるべき理由である。
『右向け左!』が切り取った、あの時代の自衛官たち
『右向け左!』の価値は、ただギャグ漫画としての面白さにとどまらない。ある意味で、この作品はバブル経済の絶頂期――すなわち、自衛隊が今のように「国防の最前線」として持ち上げられる前、むしろ「落ちこぼれの受け皿」とされていた時代に、そこへ飛び込んでいった若者たちの姿を描いている。そういう意味だけでも、十分に読む価値がある。
当時の若者たちは、基本的に公務員に憧れていなかった。特にバブル世代、つまり現在“逃げ切り”とされる団塊ジュニア以降の世代は、自衛隊どころか警察や消防すら眼中になく、銀行や広告代理店、商社といった花形企業を目指していた。刑事ドラマが大人気だったのに、現実では警察官志望がさほど多くなかったというのは、なんとも不思議な話だ。
そんな時代に、自衛隊に入ってくる若者たちのバックグラウンドは実にバラエティ豊かだ。たとえば、主人公・坂田はというと、チンピラの先輩・徳山の恋人に手を出してしまい、代償として自衛隊に送り込まれたという経歴の持ち主である。
教育中隊第21班に集う同期たちもまた一筋縄ではいかない。妙に格闘技に強く、実は子持ちの謎の隊員・ワタナベ。銃を撃ちたくて警察官試験を受けたものの、あえなく不合格となり、流れ着いた元いじめられっ子・松永。そして女っぽい、赤木。相撲部屋崩れのゴツい河合。いずれも「なぜここに?」と思わせる個性派ばかりだが、それがリアリティを高めている。
なかでも忘れがたいのが、三輪という純朴な隊員の入隊動機だ。彼が幼いころ、山で昆虫採集中に便意をもよおし、咄嗟に“地雷”を設置してしまう。無事に用は足したものの、紙がない。パンツを下ろしたまま泣き叫ぶ少年のもとに現れたのが、国防色の上下を着用し、64式小銃を背負う顔面迷彩のおじさんだった。おじさんは言う、「そういうときは葉っぱを揉んで柔らかくして使うんだ」と。「おじさんは誰?」との三輪の問いに、男は「レンジャーさ」とだけ答え、ヘビを咥えたまま山の奥へと消えていく。――この出会いが、彼にレンジャー志願を決意させたというから、笑っていいのか泣いていいのか分からない。
このエピソード、令和版「右向け左!」実写化する際は、あの“葉っぱのおじさん”は女性自衛官にしてほしいと思っている。令和の今なら、むしろそっちの方がしっくり来るかもしれない。
とまあ、三輪を除けば、まさに社会になかなか適応できない面々であり、自衛隊の“矯正施設”的な一面が皮肉として浮かび上がる。
作品中でも、その構造は強調されており、たとえば万年士長の中年隊員が「自衛隊は落ちこぼれの救済施設じゃねえ!」と絶叫する場面がある。だが、その台詞自体が、どこか虚しく、逆説的に響いているのが秀逸だ。まるで「ここが最後の駆け込み寺だ」と言わんばかりの説得力がある。
こうして見ると、『右向け左!』は、女っ気のない男たちのストレスフルな生活と、かゆくて臭いインキン地獄のリアルを、容赦なく笑いに昇華させている。現役の自衛官から「リアルすぎて鬱になる」と言われるのも頷ける。だが、あの「女日照り」も、今では解消されつつあるのではないか。SNS時代の今、自衛官も意外とモテているらしい。
余談ながら、1960年代――安保闘争後の混乱期には、人手不足に悩む自衛隊にさえ「銃が撃ちたい」という理由だけで来た少年志願者が不合格とされていたという。あの頃でも“入隊できない人間”がいたという事実は、自衛隊が少なくともある一線は守っていた証左ともいえる。
最後に一点だけ。当時の制服は、今の91式戦闘服が登場する前の、70式が現役だった時代である。だからこそ、作品内の女性自衛官――いや、当時は「婦人自衛官」と呼ばれていた――の姿が、いま見るとミリタリー系コスプレのようにも見えるのは否めない。だが、それもまた時代の記憶だ。
『右向け左!』は、過剰なほどのディフォルメの中に、実に繊細な「社会の裏面」を描いている。バブル期の眩しさに隠れて見えなかった“影”を笑いで照らすその筆致は、すぎむらしんいちだからこそである。
『右向け左!ふぉーえばー』(※ネタバレあり)
2013年に発表された『右向け左!』の読切版では、自衛隊退職から20年後の21班の面々が描かれている。物語は、職業安定所通いの坂田のもとに、かつての浅野3曹から“召集令状”が届くところから始まる。青春時代に憧れていた浅野の姿が一瞬よぎるも、「いやーババアになってるだろうなあ」と自嘲気味にため息をつく坂田自身も、すでに39歳。老いと現実がにじむ。
坂田は寿司屋で、かつての21班の仲間たちと再会する。20年ぶりの顔ぶれに、昔の調子で減らず口を叩く坂田。やがて鬼教官だった山口、そして同期の三輪も登場。制服姿ではあるが、果たして彼らはまだ現職なのか……?という疑問はすぐに解ける。
今やすっかり“こぎたねえ中年”と化した坂田は、帽子をかぶったまま席につく。外せないのだ。テレビでは河合が大食いタレント、赤木はオネエの華道家として引っ張りだこ。一方、坂田には警備会社の棒振りしか求人がない。己の不甲斐なさが痛い。
そこへ、パンプスを脱ぎ捨て、男たちの履き古したスニーカーを踏みつけながら、席に上がってくる一人の女性自衛官――かつての浅野3曹、今の浅野2尉であった。制服姿のまま、かつての面々を前にしたその凛とした佇まいが空気を変える。
浅野に代わって山口が語るのは、今の自衛官志願者不足の深刻な現状だ。彼の説明とともに登場する“萌え”ポスターが切ない――自衛官募集に美少女イラストが用いられはじめた2000年台中盤、これは議論を呼び起こした。

画像の引用元『右向け左!ふぉーえばー』
だが、自衛隊の萌え広報は失敗。志願者は足りない。そこで新たな戦略が出る。元自衛官を予備自衛官として呼び戻すというのだ。これを常備自衛官として充てるのか、あくまで予備役投入するのかは不明だが、かつての隊員たち――坂田ら元自衛官を予備自衛官として再任用し、戦力の補填を図ろうというのだ。
しかし目当ては、坂田ではない。今や芸能人となったメディア露出の多い赤木や河合たちを“インフルエンサー”として活用し、訓練の様子を動画で発信するという広報戦略である。これはフィクションに留まらず、2021年に実際の防衛省も「予算獲得と広報強化のため、人気ユーチューバーや芸能人ら約100人に接触を図る計画」が報じられたことと重なる。
参考:
「防衛省、芸能人らインフルエンサー100人に接触計画 予算増狙い」
https://www.asahi.com/articles/ASP9J5FV0P9HUTFK01J.html
この作品は2013年の発表であるから、だいぶ先取りしたなという印象だ。
坂田は浅野に軽くあしらわれる。山口もだ。

自衛隊の“萌え広報戦略”は失敗。そのツケは、まだ自衛隊の制服を着ている彼女含め、彼ら全員に。画像の引用元『右向け左!ふぉーえばー』
物語の中で、かつて“落ちこぼれ若者の救済施設”のように描かれた自衛隊は、今やちゃらんぽらん中年ですらも必要とされる組織になっている。かつての青春と汗と臭いと絶望の日々が、インキンとともに奇妙な形で回帰する。ちょっとはあの頃の時代に想いを馳せる21班の面々であった。

画像の引用元『右向け左!ふぉーえばー』
そんな現実とフィクションの交差点に、この作品の切なさとユーモアがにじむのである。
『右向け左!ふぉーえばー』(※ネタバレあり)は下記サイトで無料で読める。