「伝説の駄銃」62式機関銃の話
1962年に日特金属工業(のちに住友重機により吸収合併)で開発製造され、陸上自衛隊普通科部隊で制式採用された62式7.62mm機関銃。
当時の主力小銃である64式小銃と同じ弾薬を共通化した汎用機関銃として配備が始まった62式やねんけど、まぁ評判は 最悪 や!
どないな銃かって?
・バイポッド(2脚)標準装備!
・トライポッド(3脚)に載せ換えOK!
・発射速度も変えられるで!
おぉ、ええやん!って思うやろ? ところがどっこい、 実際に使った隊員の感想はよくない・・ってか地獄っぽい感じ やったんや……。
62式7.62mm機関銃の評価は最悪・・「撃ったら壊れる」伝説のクソ仕様
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「撃ったら壊れる」伝説のクソ仕様
隊員たちの証言をまとめると、こんな感じや!
🔴撃ったら故障!
🔵持ち歩いたら銃身が抜ける!
🟡機関銃のくせに連射できへん!
🟢撃つ時間より修理する時間のほうが長い!
特にヤバいんが 「自然撃発」 や。
「もう撃つのやめよか」と引き金から指を離しても撃ち続けるって……。「自然撃発」の発生は銃器として致命的欠陥や。
そらもう阿鼻叫喚の現場やろ。アビイ・ロードや。撃ち方やめ!の号令出ても撃ってると、上官にしばかれるやろ普通に。
そもそも、銃身が薄すぎてオーバーヒートするんが問題や。
結果、「機関銃なのに連射できへん」『連射しだすと止まらん』という伝説が誕生してしもたんや。
「200万円の鉄くず」やったけど……
そんな62式機関銃、当時の価格は1丁約200万円。
まさに高級ジャンク品や。
結局、後継のMINIMIに更新が進んどるけど、まだ完全には入れ替わってへんらしい。
いろんな意味で自衛隊の歴史に名を刻んだ伝説の銃になったわけやな……。
一方、なぜこんな銃が生まれたのか、日経BPに興味深い話もあるで。
それによれば、本銃の欠陥は多くの場合、64式小銃よりも銃身が細いことに起因するとのことなんや。
62式機関銃は、日本人の体格に合わせて軽量化を追求するあまり、銃身の肉厚をものすごく薄くしている。連続射撃をする(=銃身の耐久性が要求される)機関銃なのに、なんと64式小銃よりも銃身が細いのだ。機械工学的に見ると、62式機関銃の欠陥の多くは、この細すぎる銃身に由来する。
略
この銃身が細すぎる欠点については、開発途中で豊和工業からアドバイスを受けていたが、N社の技術者は自らの設計に固執したという。要するに、軽量化にこだわり過ぎてバランスを失してしまったのであり、煎じ詰めれば、経験不足のN社に開発を任せたのがそもそも間違いだった。
引用元 日経BP社
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20120131/379802/?rt=nocnt
しかも、同業他社の防衛装備品メーカーで、すでに64式小銃を製造納入している豊和工業側からのアドバイス申し入れに対して、製造を主導したN社の技術者は受け入れなかったというから、なんやねんそれって話やな!
「帰るんかい!」開発者・河村博士の謎発言
この銃を開発した河村正彌博士、なかなかクセ強いおっちゃんやったらしいで!
『そこが変だよ自衛隊』の著者・大宮ひろ志氏によると、河村博士の口癖は「俺はもう一度満州へ帰る」だったとか。
ネット民も「いや帰れや……」ってツッコミ入れとったで。
しかも博士、62式を世界でも最高の機関銃と自画自賛する一方、「設計者の苦労は現場の使用者には理解できない」とか言うてたらしい。
いやいや、現場の隊員は銃が撃てんことのほうが理解できんわ!
62式機関銃のまとめ
あくまで元自衛官の書籍『そこが変だよ自衛隊 大宮ひろ志』とか、日経BP社の報道など各方面のオープンソースから集めた情報であって、ワイが嘘書いてるわけやないで。
せやから、どんなに現場の自衛官が「きちんと整備すればまともに撃てるで」って言っても、開発段階から銃器としての安全性の欠陥、道具としての使い勝手の欠如がある以上、あんまよくない駄銃ってこっちゃな。
結論:62式はツッコミどころ満載の駄銃やった!
🔥「銃身が薄すぎて連射できん!」
🔥「引き金離しても撃ち続ける!」
🔥「撃つ時間より修理時間のほうが長い!」
🔥「開発者の口癖が『満州へ帰る』!」
コントするのに税金使うのやめてや…。
以上、伝説の62式機関銃の話でした!
現在はMINIMIに更新が進んどるけど、こっちもまあまあ、データ改竄やらやらかして、住友重機が銃器から撤退する遠因になったり、いろいろやばいで。