元自衛官・報道いずれも「最低」の格付け…62式7.62mm機関銃その苦難の歴史

1962年、日特金属工業(後に住友重機械工業に吸収合併)によって開発・製造された62式7.62mm機関銃は、陸上自衛隊の普通科部隊において制式採用された汎用機関銃である。主力小銃であった64式小銃と同じ7.62mm弾を使用できる点が評価され、配備が進められた。

設計としては、バイポッド(2脚)の標準装備、トライポッド(三脚)への換装、発射速度の可変機能など、機能性の高さが謳われていた。

しかし、実際に運用した隊員たちからの評価は、極めて厳しいものであった。


「撃ったら壊れる」──深刻な信頼性不足

隊員たちの証言を総合すると、62式機関銃には数多くの致命的な問題があった。
まず、発砲による故障が頻発。銃を携行中に銃身が抜け落ちるという報告すら存在する。また、連射性能にも重大な欠陥があり、「機関銃でありながら機関銃らしく連射ができない」といった不満が多数聞かれた。

修理の手間は膨大であり、「撃っている時間よりも、修理している時間の方が長い」と揶揄されるほどであった。


銃器としての致命的欠陥「自然撃発」

特に深刻なのが、「自然撃発」と呼ばれる現象である。これは、引き金から指を離しても発砲が止まらず、暴発状態になるというもので、銃器としては致命的な欠陥である。部隊の現場では混乱が生じ、上官からの「撃ち方やめ」の号令が通らず、制御不能に陥る例もあったという。

こうした現象は、銃身の構造的な脆弱性が原因とされている。銃身が薄く、オーバーヒートに極端に弱い設計であったことが、重大なトラブルを引き起こした。


「連射できない機関銃」──語り継がれる“伝説”

本来ならば火力支援の要となるべき機関銃が、「連射できない」「暴発する」といった深刻な欠陥を抱えていたことで、62式機関銃は**「伝説の駄銃」**とまで呼ばれる存在となった。
その実態は、機関銃の役割を担いきれず、隊員たちの信頼を大きく裏切った兵器のひとつである。

現在では、後継のMINIMI軽機関銃などにその役割が引き継がれているが、62式機関銃の存在は、設計と現場運用の乖離がもたらすリスクを象徴する教訓として語り継がれている。

「200万円の鉄くず」と呼ばれた62式機関銃──設計に潜んでいた致命的バランス欠如

62式機関銃の当時の調達価格は、1丁あたり約200万円とされている。機関銃としての完成度に疑問を呈されながらも、それなりの高額で調達されたこの銃は、**「高級な鉄くず」**とも揶揄された。
現在では後継となるMINIMI軽機関銃への更新が進められているが、すべての部隊で完全に置き換えられたわけではない。

結果として62式は、自衛隊装備史において、技術的課題と教訓を多く残す象徴的な存在となった。


欠陥の本質は「細すぎる銃身」──過剰な軽量化と技術者の判断

62式の致命的な欠陥については、銃身の構造的な問題が中核にあるとされている。
日経BPの報道によれば、本銃は日本人の体格に合わせて軽量化を追求した結果、機関銃でありながら銃身の肉厚が64式小銃よりも薄く設計されていた。本来、連続射撃に耐え得る強度が求められる機関銃にとって、これは明らかに設計上の過失である。

この点については、当時すでに64式小銃の製造を担っていた豊和工業の技術者から改善の助言があったとされるが、製造を主導した日特金属工業(N社)の技術者はこれを受け入れず、自社設計に固執したという。

62式機関銃は、日本人の体格に合わせて軽量化を追求するあまり、銃身の肉厚をものすごく薄くしている。連続射撃をする(=銃身の耐久性が要求される)機関銃なのに、なんと64式小銃よりも銃身が細いのだ。機械工学的に見ると、62式機関銃の欠陥の多くは、この細すぎる銃身に由来する。

この銃身が細すぎる欠点については、開発途中で豊和工業からアドバイスを受けていたが、N社の技術者は自らの設計に固執したという。要するに、軽量化にこだわり過ぎてバランスを失してしまったのであり、煎じ詰めれば、経験不足のN社に開発を任せたのがそもそも間違いだった。

引用元 日経BP社
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20120131/379802/?rt=nocnt

結果、軽量化の追求が行き過ぎ、全体のバランスを大きく欠いた設計となった。
防衛装備品としての信頼性よりも設計思想を優先した判断が、実戦的な信頼性を大きく損なうことになった。


開発者・河村博士の強烈な個性と不可解な発言

62式機関銃の設計を担当したのは、河村正彌博士である。著書『そこが変だよ自衛隊』の中で、大宮ひろ志氏は河村博士について「個性の強い人物であった」と記している。

博士の口癖は「俺はもう一度満州へ帰る」とされ、現代のネット上ではこの発言に対して「帰ってくれ」といった皮肉混じりの反応が見られた。
また、河村博士は62式を「世界でも最高の機関銃」と自賛しつつ、以下のように述べていたという。

「設計者の苦労は使用者には理解されないものだ」 -河村正彌博士

しかし、実運用としてこの銃を使用せざるを得なかった隊員にとっては、「銃がまともに撃てない」ことこそが、最大かつ理解不能な問題であったのは言うまでもない。


教訓として残された「伝説の銃」

設計思想と運用実態の乖離、技術的未熟さ、他者からの助言を拒否する組織風土──62式機関銃は、こうした複合的な問題によって生まれた**「伝説の駄銃」**である。

現代の装備開発においても、この過去の失敗から学ぶべき点は多く、単なる兵器としてだけでなく、組織運営や技術判断における反省材料として語り継がれている。

62式機関銃のまとめ──評価が割れる中で残された歴史的教訓

本稿で取り上げた62式機関銃に関する情報は、元自衛官による著書『そこが変だよ自衛隊』(大宮ひろ志・著)や、日経BP社の報道など、公開された複数の情報源に基づいて構成しているものである。従って、ここで紹介する内容はあくまでオープンソースに依拠した実情の記録であり、事実を歪める意図は一切ない。

現場の元自衛官の中には、「適切に整備すれば実用に耐えうる銃である」とする意見も存在する。しかしながら、設計段階から存在していた構造的欠陥や、銃器としての安全性への疑念、防衛装備品としての信頼性の低さが指摘され続けている以上、総合的には“欠陥銃”と呼ばざるを得ない評価である。


代表的な問題点

  • 銃身が薄すぎる:小銃よりも銃身が細く、連続射撃時のオーバーヒートや耐久性の低下を招いた。

  • 自然撃発の発生:引き金を離しても発射が止まらない例が報告されており、安全性に大きな懸念があった。

  • 極端な整備頻度:射撃のたびに故障が発生し、「撃つより修理が主」といった声すらある。

  • 開発責任者の逸話:設計者・河村博士が「満州へ帰る」が口癖であったなど、開発現場の温度差や組織的乖離が示唆されている。


総評:ツッコミどころの多い装備だった

結論:62式機関銃は、銃器としての基本要件に欠ける要素が多く、現代の装備開発において反面教師となる歴史的装備であった。今後の教訓として、事実と検証に基づいた技術開発と装備採用が求められる。

62式機関銃は、防衛装備として多くの課題を抱えた設計と運用上の問題点を内包しつつも、実際に配備されたという事実が残っている。開発技術や運用現場との意識の齟齬、改善提案の拒否、過剰な軽量化志向などが複雑に絡み合い、「伝説の駄銃」とも呼ばれる所以である。


後継装備にも課題が

現在ではMINIMI軽機関銃への更新が進んでいるが、こちらも62式同様、決して無風ではない。住友重機が納入前にデータを改ざんしていた問題が発覚、防衛省が同社を指名停止に処し、結果的に防衛産業からの撤退という結果を招くなど、新たな課題を残している。


自衛隊の5.56mm機関銃MINIMIはFN M249 MINIMIを住友重機で国産化した装備品

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