自衛隊の「災害派遣」と民生支援!対災害用各種装備

「災害派遣」と聞くと、多くの方は地震や洪水の際の被災者救助を思い浮かべるかもしれません。しかし、自衛隊が担う災害派遣の任務はそれだけにとどまりません。

たとえば、不発弾の処理も自衛隊による重要な民生協力のひとつです。また、離島からの緊急患者の空輸や、北海道・東北地域で発生する雪害への除雪活動も、正式な災害派遣要請に基づいて実施されています。いずれも、国民の命を守るための大切な任務です。

自衛隊の災害派遣――その幅広い活動

では、「災害派遣専門の部隊」があらかじめ編成されているのでしょうか。実はそうではありません。災害が発生した地域を担当する警備部隊が、第一義的に出動することになっています。

さらに、「近傍派遣」と呼ばれる制度もあります。これは自衛隊の駐屯地や基地の至近距離で災害や火災が発生した場合、都道府県知事からの正式な出動要請を待たず、自衛隊が自主的に出動できる仕組みです。地域住民にとっては、非常に心強い存在となっています。

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熊本地震における自衛隊の対応(2016年4月)

平成28年(2016年)4月14日木曜日、熊本県を襲った大地震に際し、同日22時40分、熊本県知事から陸上自衛隊第8師団長(北熊本)へ災害派遣要請が出されました。

これを受け、防衛省は陸・海・空の各自衛隊に出動命令を発出。総勢約2万人(延べ約5万7,200人)を派遣し、航空機86機(延べ291機)、艦船14隻(延べ52隻)を動員して、被災者支援・捜索救助・物資輸送など多岐にわたる活動を展開。

また、在日アメリカ軍も支援に加わり、オスプレイ輸送機を用いて救援物資の搬送などに協力しました。

参考資料:防衛省 報道発表(2016年4月18日)
http://www.mod.go.jp/j/press/news/2016/04/18d.html

東日本大震災における自衛隊の活動

2011年3月11日、東北地方の沖合で発生した巨大地震と、それに伴う大津波は甚大な被害をもたらしました。さらに津波によって福島第一原子力発電所が全電源喪失し、爆発と大量の放射性物質の漏洩が発生しました。

この未曾有の災害に対し、自衛隊は被災者の救助、行方不明者の捜索、生活支援、原発事故対応など、広範な任務を遂行しました。延べ約1,066万人の隊員が災害派遣にあたったとされています。また、米軍も「トモダチ作戦」として積極的な支援を行い、国際的にも高く評価されました。

特に注目されたのは、陸上自衛隊のUH-60JA多用途ヘリコプターが、津波被害を受けた病院の屋上からホバリング状態で患者を救出するシーンです。地上に着陸せず機体の重量を建物にかけないという判断のもと行われたこの救助活動は、「神業」と称されました(『MAMOR』2012年5月号より)。また、福島第一原発では、CH-47大型輸送ヘリによる水バケットでの消火活動も行われました。


雪害への対応

北海道や東北地方では、冬期の豪雪が原因で災害が発生することも珍しくありません。湿った重い雪が送電線や鉄塔に付着して倒壊を引き起こし、停電や交通遮断、住民の孤立など深刻な事態を招くことがあります。

そのため、地方自治体は道庁を通じて自衛隊に災害派遣を要請し、雪の除去や救助活動が行われています。岩見沢市、室蘭市、登別市など、北海道内各地で近年実際に要請がありました。


救急搬送を支える航空部隊

陸上自衛隊北部方面航空隊本部付隊(札幌市・丘珠駐屯地)は、主に指揮支援を任務としていますが、唯一固定翼の連絡機を運用しており、災害時には航空偵察、火山観測、離島からの緊急患者輸送などに活躍しています。

この「連絡機」(Liaison Aircraft)は、その名のとおり、部隊間の連携や人員・物資輸送を目的とする機体で、現在は三菱製LR-2が配備され、高速で高性能な患者搬送が可能となっています。夜間の空港への優先着陸なども日常的に行われており、通称「メディカル・ロメオ」として信頼されています。

また、航空自衛隊千歳基地に所在する航空救難団も、北海道周辺の離島(礼文島、利尻島、天売島など)からの患者搬送を担当しています。UH-60J救難ヘリやU-125捜索機が主要装備であり、昼夜を問わず活動を続けています。

一方、小笠原諸島では滑走路がないため、硫黄島に展開する海上自衛隊のヘリコプターが島に出向いて患者を搬送し、硫黄島に戻ったのち、本土まで航空機や水陸両用飛行艇で輸送します。

自衛隊のオスプレイ導入に期待高まる――小笠原村議会の声

東京都の小笠原村議会では、急患搬送のさらなる迅速化を求めて、自衛隊によるオスプレイの早期導入を促す決議を行いました。2014年3月26日に採択されたこの決議は、4対3の賛成多数で可決され、28日には防衛省に送付されました。

自衛隊では、アメリカ軍の新型輸送機である「オスプレイ(V-22)」の取得を正式に決定していますが、小笠原村では、この機体を災害や医療搬送に積極的に活用することを強く望んでいます。

現在、小笠原村では東京都と海上自衛隊との協定に基づき、年間約30名の急患を1300キロ離れた本土(厚木基地や羽田空港)へ空輸しています。この任務には主に海上自衛隊のUS-2水陸両用飛行艇が投入されていますが、US-2には夜間の着水が困難といった制限があります。

一方、オスプレイは夜間飛行が可能で、ヘリコプターよりも高速・長距離の移動が可能なため、搬送時間の大幅な短縮が期待されています。医療体制が限られる離島において、こうした航空機の導入は住民の安心にもつながると考えられています。

なお、在沖縄米国海兵隊の公式サイトでは、小笠原村議会議員の一木重夫氏のコメントも掲載されており、離島地域における医療搬送の切実な課題と、それに対する期待の大きさがうかがえます。

2013年7月、6才の息子が全身の急性リンパ節炎の急病に倒れ、自衛隊で1000km離れた内地の病院に急患搬送されました。日没近くだったため救難飛行艇(US-2)は父島の海上に着陸できず、息子は父島から南に270km離れた硫黄島まで救難ヘリ(UH-60J)で運ばれ、硫黄島から北に1200kmの本土まで救難飛行艇で運ばれました。急患搬送に要した時間は約11時間。私はその時間、不安な気持ちで胸が切り裂かれる思いでした。

引用元 米国海兵隊公式サイト
http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/news/140820-osprey.html

なぜ自衛隊に出動命令が下るのか

悪天候による人命救助の「最後の砦」――それが自衛隊による緊急搬送です。ドクターヘリや防災ヘリなど、民間や自治体の救急搬送手段が使えない状況において、自衛隊の出動が要請されます。

このような出動にあたり、自衛隊では「公共性」「非代替性」「緊急性」の3つの観点から総合的に評価を行い、最終的に出動が決定されます。民間機では対応できない悪天候や夜間の搬送、または到達困難な離島や山岳地帯などが主な対象です。

たとえば、海上自衛隊のパイロットは、「悪天候で任務を中止せざるを得ないことはつらいが、二次災害を防ぐためには冷静な判断で基地へ帰投することも重要な責務だ」と語っています。危険と隣り合わせの任務に果敢に挑む自衛隊員たちの姿勢には敬意が集まりますが、一方で事故もゼロではありません。1962年のネプチューン墜落事故や、近年の徳之島でのCH-47JA墜落事故など、過酷な任務の代償として悲しい出来事も起きています。


北海道羅臼町の暴風雪と自衛隊の災害派遣

自衛隊の災害派遣は、単に人命救助にとどまりません。暴風雪による孤立地域が発生した際には、除雪支援を含むさまざまな支援活動が行われます。

自衛隊はその人的資源(マンパワー)と多様な装備を活かし、電力供給、除雪、入浴支援、食事提供、医療支援、物資輸送など多岐にわたる支援を実施できます。過去には、雪害の際に火炎放射器を用いて雪を溶かす作業を行った例もありますが、燃料消費が多く非効率であることから、現在ではそのような手法は用いられていません。

雪害対応における陸上自衛隊の主な装備には、「78式雪上車」や「10式雪上車」があり、さらに施設部隊によるショベルカーなどの建設車両も大きな役割を果たします。これらの装備と隊員の連携により、厳しい自然環境下でも支援活動が着実に進められています。

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自衛隊による災害派遣と民生協力の実例

「民生支援」とは、自衛隊がその人員や装備・資機材を活用し、民間のさまざまな分野に協力を行う活動のことを指します。これは災害派遣だけにとどまらず、たとえばオリンピックやマラソン大会などの大規模なイベントにおいて、医療救護班を派遣するなど、多岐にわたる場面で自衛隊は活躍しています。

また、自衛隊が雪像製作に協力している「さっぽろ雪まつり」も、民生支援の一例です。このように自衛隊は、有事対応だけでなく、平時の地域社会にも広く貢献しています。

主な災害派遣

■ 初動対応の重要性と御嶽山噴火(2014年)

  • 災害対応において、最初の72時間が生死を分ける最重要期間とされます。

  • 御嶽山噴火では、警察・消防・自衛隊(陸自・空自)が出動し、救助活動を実施。

  • 陸自は89式装甲戦闘車ヘリコプターを投入。

  • 自衛隊装甲車が火砕流に耐えられるかについては議論があり、試験実績はなし。

  • 陸自隊員は防弾チョッキを着用して捜索活動を行い、これは災害派遣としては極めて異例。

  • 犠牲者の多くは火山弾の直撃により即死、ヘルメットでも防げないケースが多数。

■ 海上自衛隊による機雷処理

  • 戦後の日本海には機雷が多数残留。民間人の死傷も発生。

  • 現在の処理は海上自衛隊の水中処分隊が担当。

    • 掃海艇の機関銃で射撃

    • 水中処分具(ROV)で遠隔誘爆

■ 自衛官による民間支援活動「援農」

  • 昭和40年代、北海道・東北の農家の人手不足を背景に、自衛官が自主的に休日返上で農業支援を開始。

  • のちに制度化され、「援農」という民生協力活動に。

  • 中には農家の娘と恋に落ちて結婚した隊員も。

■ 民生支援における実弾発砲の事例

  1. ヒグマ対策(北海道・1962年、1971年)

    • 自衛官が銃を携行して小学生の通学を警護。一部報道ではヒグマを小銃で射殺。

    • 山中で不明機捜索中に陸自隊員が遭遇したヒグマを小銃で射殺。
  2. トド駆除(北海道、1959年)

    • 陸自が北海道庁の要請で、対空機関砲を用いて駆除

    • 航空自衛隊三沢基地のF-86F戦闘機が機銃掃射

  3. 谷川岳宙吊り遺体回収(群馬県、1960年)

    • 遺体が宙吊り状態になり、小銃・機関銃でザイルを切断

    • 狙撃手が1300発以上の実弾を使用。

  4. タンカー「第十雄洋丸」沈没処理(東京湾、1974年)

    • 東京湾の衝突事故により火災発生。

    • 自衛隊は魚雷・砲撃・ロケット弾などを用いて消火目的で撃沈処理

■ 実弾を用いなかった例:「白糠の夜明け作戦」(白糠町、2011年)

  • 北海道白糠町のエゾシカ増加対策として、陸自第5旅団第27普通科連隊などが上空からの確認・追い込み・搬送を支援。

  • 実際の駆除はハンターが担当。3日間で28頭を仕留めた。


ありがとう自衛隊―陸上自衛隊岩手駐屯地●東日本大震災「災害派遣」記録

ありがとう自衛隊―陸上自衛隊岩手駐屯地
●東日本大震災「災害派遣」記録
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災害対応の鍵は「最初の72時間」

大規模災害の発生時、自衛隊を含む関係機関の対応において、最初の72時間が人命救助の成否を大きく左右します。この時間内にいかに迅速かつ的確な行動が取れるかが、その後の復旧・復興活動の鍵となります。

自衛隊は、これまで多くの災害現場で災害派遣を行ってきました。たとえば、2014年9月に発生した長野県・御嶽山の噴火災害では、警察機動隊、消防、そして陸上・航空自衛隊の部隊が現地に派遣されました。陸上自衛隊はヘリコプターに加え、89式装甲戦闘車も出動させています。

この際、一部では「装甲車は火砕流に耐えられるのか?」という疑問が持ち上がりました。しかし、実際には装甲車が火砕流に対してどの程度の耐性を持つかについて、自衛隊や製造メーカーで明確な試験は行われておらず、その性能は未知数です。

今回の御嶽山噴火では、大規模な火砕流は発生しませんでしたが、火山灰と火山弾による被害が深刻でした。自衛隊の隊員たちは、火山弾から身を守るために防弾チョッキを着用して捜索活動にあたりました。防弾チョッキの災害派遣での着用は、極めて異例なことです。

この噴火では、登山中だった子どもや大人を含むおよそ50名が命を落としました。多くの犠牲者は、噴火による火山弾が頭部などに直撃したことによるものです。検視にあたった医師の証言によれば、噴石が頭蓋骨を貫通していた事例もあり、たとえヘルメットを装着していても防ぎきれなかったとされています。

自衛隊の災害救助任務における装備

自衛隊では、災害派遣において多種多様な救助装備を使用しています。中でも中心となるのが「人命救助システム」と呼ばれるレスキュー装備一式で、これは1型と2型に分類され、個人用と部隊用の装備があります。

人命救助システム(2型)

2型はコンテナに収納された形で配備され、被災地までヘリコプターなどで迅速に輸送されます。この装備は1995年の阪神淡路大震災を契機に、それまでの装備では対処が困難だったという教訓から開発されたものです。基本的には人力で運搬できるように設計されていますが、中隊単位の活動を支援する機材がまとまっており、現地での即時展開が可能です。

主な装備内容

分類 装備例
個人用 ロープ、作業手袋、ピック付き手斧、折りたたみ式レスキューナイフ、ケブラー製レスキューベスト
分隊用 エンジンカッター、収納ケース、ピック付きバール、ピストン式破壊工具、チェンソー
小隊用 エンジン式削岩機、作業用照明、エアジャッキ、背負い式消火ポンプ
中隊用 カッター&レフレクタージャッキ、エンジンポンプ、スプレッダ(車両扉こじ開け装置)、万能搬送具(ヘリ吊り上げ可能)、折りたたみ式リヤカー、破壊構造物探索機

これらの装備の多くは市販品(民生品)をベースに採用されており、「自衛隊仕様」として導入されています。たとえば、坑道掘削装置は一般向けと同じモデルであり、塗装をOD色(オリーブドラブ)に変更して配備されます。糧食に関しても、演習ではカップ麺などの市販品が配られることがあり、コスト抑制に貢献しています。

その他の救助装備・支援機材

  • 渡河ボート:74式大型トラックにより牽引・運搬され、洪水時の水難救助に使用されます。

  • レスキューロケット:空気圧によって救命胴衣を数百メートル先まで飛ばす装置で、川や海での人命救助に効果を発揮します。

  • 偵察バイク:通常は偵察任務用の車両ですが、災害時には最前線での情報収集手段として活用され、初動対応における重要な足となります。

自衛隊の戦車や装甲車が災害派遣に投入されたことはあるのか?

戦車は本来、戦闘を目的とした車両であり、災害時の使用は基本的に想定されていません。そのため、自衛隊においても戦車が災害派遣に用いられることは極めて異例です。しかし、実際に過去には例外的な事例が存在します。

1991年の雲仙普賢岳噴火の際、陸上自衛隊が保有する74式戦車や装甲車が災害派遣されました。74式戦車にはアクティブ赤外線投光器が搭載されており、夜間の警戒活動において有効な索敵能力を発揮するため、この機能が活用されました。装甲車は、万が一火砕流が発生した際の隊員の安全確保を目的として投入されました。

さらに2011年3月、東日本大震災に伴う福島第一原発事故では、放射性瓦礫の除去任務に備え、NBC(核・生物・化学)防護能力の高い74式戦車を投入する案が浮上しました。静岡県の駐屯地からは、ドーザーブレードを装着した74式戦車2両が大型トレーラーにより福島まで輸送されました。

防衛省はこの決定について「車体の気密性が高く、放射線の防護能力にも優れているため」と説明しています。ただし、実際には現場での作業に使用されることはなく、現地で待機した後に帰還しています。

74式戦車が選ばれた理由には、この車両が冷戦期における核戦争も想定して設計された経緯があり、一定の放射線防御性能を備えていた点が挙げられます。

不発弾処理にあたる自衛隊

第二次世界大戦中、米軍が日本各地に投下した爆弾の一部は不発のまま地中に残り、現代においても工事現場などで発見されることがあります。

このような不発弾に対応するため、陸上自衛隊には不発弾処理隊が編成されています。不発弾が発見されると、都道府県知事から災害派遣要請が出され、出動します。ただし、北海道の北部方面隊には専属の処理隊がなく、不発弾処理の訓練を受けた有資格者が個別に対応する形をとっています。

陸上自衛隊による不発弾処理は、発足以来無事故を誇っており、その高い技術力は国際的にも評価されています。なお、硫黄島では、海上自衛隊と航空自衛隊が共同で管理する航空基地に、陸上自衛隊の不発弾処理要員が少数ながら派遣されています。


不発弾処理で最も重要なこと

不発弾処理において第一に行われるのは、周囲に警戒区域を設け、住民を安全な場所に避難させることです。その後、不発弾を慎重に掘り出し、まずは信管(起爆装置)を取り外して安全な状態にします。

陸上自衛隊では、不発弾を運搬・処理するための専用車両も整備されており、取り除かれた不発弾は演習場などで安全に爆破処理されます。

一方で、信管の撤去が困難な場合には、その場で爆破処理を行うこともあります。その際は周囲を土嚢などで厳重に囲み、安全を確保したうえで発破を行います。不発弾を処理した隊員には「不発弾処理手当」が支給されますが、命の危険と引き換えであることを思うと、報酬は決して高額とは言えないかもしれません。

さらに、自衛隊で不発弾処理の技術を習得した元隊員が、退官後に国際的な非営利組織で活動し、海外での不発弾除去に協力する例もあります。


発見される不発弾は爆弾だけではない

地中から見つかるのは航空機から投下された爆弾だけではなく、旧日本軍が使用していた銃弾や砲弾が発見されることもあります。花火のような単純な火薬であれば、湿気によって数年で無害化しますが、爆弾に使用されている爆薬は化学的に安定化処理されているため、数十年経っても危険性が失われることはありません。

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