警察官の基本装備といえば今や拳銃と警棒ですが、日本の警察装備の歴史をひもとくと、その姿は時代によって大きく変遷。特に戦前から戦後にかけての激動の時期には、警察官の携行武器が根本的に見直される転換点がいくつも存在します。
サーベルからけん銃へ──戦前・戦後を通じた日本警察の装備変遷
◆ 戦前・戦中の警察装備──サーベルが象徴だった時代
日本の警察装備において、戦前・戦中の恒常装備は意外にも「刃物」でした。警視庁の特別警備隊を除き、一般の警察官が腰に帯びていたのは主にサーベルや短剣。けん銃(拳銃)は配備こそされていたものの、本署内に厳重に保管されており、日常の警ら活動で携行されることはまれでした。
さらに言えば、戦中ですら、初期の段階ではけん銃ではなく「佩剣(はいけん)」が重視されており、それすら幹部警察官に限定されたもので、一般の二等巡査に許されたのは基本的に警棒でした。西南戦争の後、ようやく下級警官にもサーベルの佩用が許可されるようになりましたが、それが制圧や逮捕の場面でどれだけ実効的であったかについては、当時の人道的制約や使用制限を考えれば疑問も残ります。
◆ 映像が伝える「廃刀」の日
興味深い映像資料として、NHKアーカイブスには次のような記録が残されています。
昭和21年(1946年) 時の話題
サーベルから警棒へ 3/28は「廃刀令が公布された日」。映像は昭和21年、群馬県の警察官に、それまでのサーベルに代わり警棒が支給された時の様子。お巡りさんがサーベルを持っていたなんて、今では想像できません! 明治9年(1876年)のこの日に出された廃刀令で、警官は帯刀を禁止された。しかし、欧州各国の警官が洋刀を携帯していたことなどを考慮し、明治16年(1883年)から帯刀が改めて解禁となった。以降、制服警官は基本的にサーベルを身につけていたが、戦後GHQにより禁止され、代わって木製警棒が支給されるようになった。その後、平成6年(1994年)の制服・装備品改正により、アルミ製の特殊警棒が導入された。引用元 https://www.nhk.or.jp/archives/jidai/special/today/0328/
明治9年(1876年)に公布された廃刀令では、警察官も帯刀を禁止されましたが、その後の見直しにより明治16年から再び帯刀が許可され、戦中期まで制服警官の象徴的な装備としてサーベルが継続して使用されていました。
ところが、戦後の大きな転換点が訪れます。
◆ GHQ占領と「サーベル廃止命令」
日本が敗戦を迎え、連合国軍GHQによる占領が始まると、治安状況の悪化や近代警察改革の一環として、警察装備も大きく見直されます。昭和21年(1946年)7月31日、GHQは日本警察に対して「帯刀禁止命令」を通達し、サーベルや短剣の佩用は禁止されました。これは単なる物理的装備の変更というだけでなく、警察の象徴的な姿そのものを変えるものでした。
代わって支給されたのは木製の警棒。そして、治安の悪化と物資不足が深刻な時代背景の中で、警察官の新たな携行装備として「けん銃」が本格的に導入されていくこととなります。
◆ 拳銃の導入と混在する装備
けん銃の配備にあたっては、本来であれば銃種ごとに「携帯性」「射撃のしやすさ」「価格」「供給体制」などを検討する必要がありますが、終戦直後の日本にその余裕はほとんどありませんでした。
旧日本軍が保有していた拳銃は、戦後すぐにアメリカ軍によって一度接収されたのちに一部は返還されたものの、それだけでは国内の配備は限られたため、GHQから供与されたコルトM1911ガバメントやM1917リボルバーといった米軍制式拳銃が混在して使用されました。

こうした「寄せ集め」に近い状態での拳銃配備は、警察組織にとっても異例の事態であったといえるでしょう。
◆ 昭和20年代の「恐るべき実態」
拳銃が警察官の標準装備となって間もない昭和20年代、使用事例の中には今日では考えられないようなものも存在していました。日弁連(日本弁護士連合会)が公開している資料の中には、当時の警察官による不適切とも言える発砲の実例が多数報告されており、その一部は違法行為や人権侵害の疑いも強く、戦後の「民主警察」への移行がいかに困難な道であったかを物語っています。
参考資料:日弁連市民的自由年報1950年版
https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/1950/1950_1.html
戦後間もなく配備されたけん銃各種
それでは、実際に戦後間もなく配備されたけん銃をご紹介していきます。
十四年式

十四年式けん銃は、陸軍砲兵大佐・南部麒次郎の主導により開発され、1925年(大正14年)に日本陸軍に制式採用されました。主に下士官や憲兵、空挺兵などが使用していましたが、その性能の低さから将校の間では不評でした。
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | 南部十四年式拳銃(Nambu Type 14 Pistol) |
設計者 | 南部麒次郎 |
設計年 | 1925年(大正14年) |
製造年 | 1926年〜1945年 |
製造数 | 約400,000丁 |
使用弾薬 | 8mm南部弾(8×22mm Nambu) |
装弾数 | 8発(着脱式箱型弾倉) |
作動方式 | ショートリコイル式・単純ブローバック(実際にはロック機構なし) |
全長 | 230 mm |
銃身長 | 117 mm |
重量 | 約900 g(空状態) |
発射速度 | —(半自動式のため射手の指による) |
初速 | 300 m/s(およそ) |
有効射程 | 約50 m |
照準器 | 固定式アイアンサイト(フロントポスト/リアV字) |

というのも、当時の将校は約30種に及ぶ外国製けん銃の中から、信頼性の高いものを私費で自由に購入することができたためです。彼らは実績のある外国製けん銃を各自で選び、使用していたとされています。
十四年式は、もともと大正末期から昭和にかけて量産された日本製の半自動拳銃で、当時の技術水準を反映したものでした。しかしながら、設計上の問題や弾薬との相性、引き金の重さ、寒冷地での作動不良など、現場での信頼性には多くの課題が残されていました。
これにより、十四年式は一部の下級兵科や憲兵にとっては標準装備となっていたものの、実戦を経験した将校や、使用経験のある熟練者の間では不評であり、可能な者は信頼性の高い外国製の拳銃(コルト、ブローニングなど)を個人で購入し携帯していました。
戦後の警察もまた、この十四年式を配備することになったものの、一説によると米軍のけん銃が支給されるまでの2年間ほどだったようです。そのため、十四年式はあくまで一時的な措置とされ、順次アメリカ製けん銃など、より信頼性の高い装備へと置き換えが進められていきます。
南部十四年式と少年時代のエアガン事情
余談ですが、南部十四年式といえば、東京マルイのエアソフトガンのラインナップにも1980年代から長らく名を連ねていました。とはいえ、その奇妙に曲がったトリガーガードと寸詰まりなシルエット、そして弾薬も構造もピンとこない「どこの国の拳銃なんだこれは」と言いたくなるマイナー感から、少年たちの人気を博すことはなかったのではいかと推測します。国粋主義をこじらせたような少年(そんな少年がどれほど実在したかはさておき)を除けば、今の若い世代にとって十四年式は“選ばれない拳銃”であり続けました。
そして2008年ごろ、理由は定かではありませんが、東京マルイの十四年式モデルは突然の絶版。金型の破損か、採算の問題か、あるいは特定団体からのアレか──真相は闇の中。
ちなみに、同社製の他のエアコッキングガン、たとえばオートマグやルガーP08もそうであったように、十四年式のコッキング機構は極めて特異で、しかも扱いづらかったのが実情です。撃つ以前にコッキングの段階で挫折する子供も多かったのではないでしょうか。
筆者がクソガキだった当時の記憶を辿っても、周囲にこの南部十四年式を実際に購入した者は記憶にありません。玩具店の棚には、いつも売れ残った十四年式が所在なさげに積まれ、パッケージは日焼けで変色し、かつての輝きは見る影もなく哀愁を感じさせました。子どもたちの人気は当時、映画で大活躍だったM92F、ルパンのワルサーP-38に集中し、十四年式は“知っている者すら少ない銃”として、時代に取り残されていったのです。
今となっては、そうした“売れ残り”にこそ、ある種のノスタルジアが宿るもの。十四年式は“格好良くない”拳銃だったかもしれません。しかし、その中途半端さと日本的な不器用さこそが、戦後の混乱とともに生きた、ある種の文化の象徴であったのかもしれません。
平凡な中学生が14年式を扱うアニメ!?
14年式とアニメを巡っては、近年、Netflixで再アニメ化された藤子・F・不二雄原作の「T・Pぼん(タイムパトロールぼん)」の主人公で平凡な(現代の)中学生・並平ぼんによる、その鮮やかな14年式の排莢作業が一部で伝説化されています。
ぼんはタイムパトロール隊員としてスカウトされ、様々な任務に就くことになりますが、その過程で戦時中にタイムスリップし、旧日本軍のある少尉の自決阻止に介入。その過程で少尉の所持していた14年式から密かに実弾を抜いて薬室を覗き込んで安全化を確認する……という描写ですが、とくにモデルガン趣味があったわけでもない彼にしては手慣れすぎており、一部で謎を呼びました。ただ、藤子・F・不二雄氏の作品には、「ドラえもん」、「エスパー魔美」など以前から銃器描写が多くあり、その流れを踏襲したものと見られます。
なお、映画版「ドラえもん」ではグロック17が登場しています。
FN ブローニングM1910(Fabrique Nationale Browning Model 1910)
「ブローニング」とは開発者の名に由来します。日本においては、昭和の私服刑事に愛用された名銃としても知られます。

項目 | 内容 |
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正式名称 | Fabrique Nationale Browning Model 1910 |
設計者 | ジョン・ブローニング |
製造国 | ベルギー(FN社) |
設計年 | 1910年 |
使用弾薬 | .32ACP(7.65mmブローニング) .380ACP(9mmショート) |
作動方式 | シンプルブローバック・シングルアクション |
装弾数 | 7発(.32ACP) 6発(.380ACP) |
全長 | 約153mm |
銃身長 | 87mm |
重量 | 約595g(空マガジン時) |
セーフティ | グリップセーフティ、サムセーフティ |
特徴 | シンプルで堅牢な構造、小型軽量。 オーストリア皇太子暗殺事件(サラエボ事件)で使用された銃種としても知られる。 |
アニメ監督として知られる大塚康生氏は、かつて麻薬取締官として勤務されており、現役時代には本銃を職務上使用されていたそうです。そのような縁からか、ご自身が監督を務めたアニメ『ルパン三世』においても、主要キャラクターである峰不二子に本銃を携行させていました。

現在の麻薬取締官が使用しているけん銃は、ベレッタ製のものに移行していますが、厚生労働省が自ら公開した事情を察すると、別の銃になった可能性もあります。
ブローニング M1910は、ハンマーが外部に露出しておらず、とっさの抜き撃ちの際でも衣服に干渉しにくいという特長があります。また、重量は約570グラムと軽量で、取り回しに優れていました。
日本では戦前・戦中に多数が輸入され、当時は民間向けにも販売されていました。先述のとおり、旧陸軍の将校は自費で官給以外の拳銃を自由に購入することができたため、このM1910は将校にとって定番の選択肢だったのです。

戦前の警視庁特別警備隊。現在の警視庁機動隊の源流。ブローニングを握り査閲を受ける。
戦前の警視庁特別警備隊(現在の警視庁機動隊の源流)では、ブローニングを握ったまま査閲を受けている様子も記録されています。

点検を受ける私服捜査員(昭和30年代)出典:「特集:変革を続ける刑事警察」(警察庁ウェブサイト)(https://www.npa.go.jp/hakusyo/h20/honbun/html/kd100000.html)
昭和30年代には、私服捜査員がこの銃を持ち、点検を受けている写真も残されており、当時の捜査現場における信頼の高さがうかがえます。
現在でも、地方の旧家で旧軍兵士であった故人の遺品整理を行っている際に、油紙に包まれたビンテージのM1910が発見されるという事例が稀にあります。
コルト・M1903
FN ブローニングM1910と類似した自動式けん銃。それもそのはず、ジョン・ブローニングが設計し、アメリカのコルト社が製造しており、姉妹関係にあります。
典拠元 http://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12067545870.html
ワルサーPPK
80年代、当時の総理大臣が、西ドイツへ外遊した際「我が国のワルサーけん銃は優れており、日本警察のけん銃として採用してほしい」と西ドイツ首相に直々に売り込まれたという話をかつて専門誌で目にしました。

項目 | 内容 |
---|---|
正式名称 | Walther PPK(Polizeipistole Kriminalmodell) |
製造国 | ドイツ(カール・ワルサー社) |
設計年 | 1931年 |
使用弾薬 | .32ACP(7.65mm)、.380ACP(9mmショート)、.22LR など |
作動方式 | ブローバック式、ダブルアクション/シングルアクション |
装弾数 | 7発(.32ACP)、6発(.380ACP) |
全長 | 約155mm |
銃身長 | 83mm |
重量 | 約590g(空マガジン時) |
セーフティ | デコッキング機能付きセーフティレバー |
特徴 | 携帯性に優れた小型自動拳銃。 映画『007』シリーズでジェームズ・ボンドが使用したことで世界的に有名。 |
結果、この”外遊の土産”が警察へ数百丁配備され、警視庁のSP用のみならず、後年は各警察本部へバラまかれており、長野県警察での配備が確認されています。
また、このお土産採用のPPKなのか詳細は判然としませんが、皇宮警察にも配備されており、皇宮警察本部の公式サイトに女性護衛官がワルサーで射撃訓練をする写真が載っていた事実を確認しています。
M1917
戦後、日本の警察にはアメリカ軍から多くの大型けん銃が供与され、そのひとつがM1917リボルバーでした。昭和40年に発生した「昭和40年に起きた少年ライフル魔事件」では、逃走する少年に対し警察官がM1917を向けて構える場面がマスコミに撮影されています。
このとき、背景に写っていた別の警察官が所持していたニューナンブらしき銃と比べても、M1917は.45口径であるため、その巨大なシルエットがひときわ目を引きました。

1950(昭和25)年6月18日、実弾射撃訓練を行う大阪府警の婦人警察官。出典https://www.sankei.com/photo/daily/news/150618/dly1506180001-n1.html
1950年(昭和25年)6月18日、大阪府警の婦人警察官が実弾射撃訓練を行う様子が記録されております(出典:産経新聞フォトアーカイブ)。
項目 | 内容 |
---|---|
正式名称 | M1917 Revolver |
製造メーカー | コルト社、スミス&ウェッソン社(それぞれ設計が異なる) |
製造国 | アメリカ合衆国 |
設計年 | 1917年 |
使用弾薬 | .45ACP(ムーンクリップ使用)、.45オートリム |
作動方式 | ダブルアクション/シングルアクション |
装弾数 | 6発(シリンダー装填) |
全長 | 約264mm(モデルにより差あり) |
銃身長 | 5.5インチ(約140mm) |
重量 | 約1.1kg(空の状態) |
特徴 | 自動拳銃の.45ACP弾をムーンクリップで使用可能。 大柄で重厚、威圧感ある外観。日本警察にも戦後供与された。 |
実は、このM1917にはS&W(スミス&ウェッソン)社製とコルト社製の2種類が存在しており、どちらも口径や重量はほぼ共通化されておりますが、内部構造や設計には差異があります。
項目 | S&W M1917 | Colt M1917 |
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製造会社 | スミス&ウェッソン(S&W) | コルト(Colt) |
設計ベース | S&W Nフレーム(モデル1908改) | Colt New Service |
作動方式 | ダブルアクション/シングルアクション | ダブルアクション/シングルアクション |
使用弾薬 | .45ACP(ムーンクリップ) .45オートリム |
.45ACP(ムーンクリップ) .45オートリム |
装弾数 | 6発 | 6発 |
銃身長 | 5.5インチ | 5.5インチ |
重量 | 約1.1kg | 約1.1kg |
シリンダーロック | 左側のサムリリース(S&W式) | プッシュ式(Colt特有) |
特徴 | 滑らかなトリガープル。整備性に優れる。 | 頑丈な構造で耐久性重視。 |
日本での配備 | 戦後、警察に供与(大阪府警など) | 左に同じ |
背景として、第二次世界大戦中、米軍で制式採用されていた「コルト・ガバメント」は複数の企業でライセンス生産されていたものの、それでも需要を満たすには至りませんでした。このため、米軍はS&W社およびコルト社の両社に対し、「.45ACP弾(いわゆる“ガバメントのドングリ”)をリボルバーで使えるようにせよ」と、まるでドーラおばさんのように強い口調で要請したと伝えられています。
この要請に応えるかたちで、両社は既存の製品を発展させ、自動式けん銃用の.45ACP弾をリボルバーで使用可能にしたM1917を開発しました。しかし、その構造上の無理がたたってか、不発の多発といった問題も報告されています。
日本においては、M1917は昭和50年代頃まで配備されていたと見られています。
その後、より小型で扱いやすい.38口径のチーフスペシャルをもとに開発されたニューナンブM60や、その後継であるM37などが主力となっていきました。M1917はそれらと比べて明らかに大型であり、威力も不必要に強かったため、市民感情への配慮もあってか、機動隊などで数をそろえる目的で使用されたのを最後に、早い段階で退役・保管へと回されたようです。
コルト・オフィシャルポリス
.38口径で6連発の大型リボルバー「オフィシャルポリス」は、アメリカ国内において、同国の警察史上もっとも多く納入されたけん銃のひとつとされております。
日本においては、本来この銃は、純粋に都道府県警察用として調達されたものではございません。濱田研吾氏の著書『鉄道公安官と呼ばれた男たち』によりますと、JRの前身である日本国有鉄道(いわゆる国鉄)が、独自に有していた司法警察職員「鉄道公安職員」用に配備していました。
その後、国鉄の民営化にともない、同機関が保有していたけん銃はすべて警察へと移管されたと伝えられています。
M10ミリタリー&ポリス
スミス&ウェッソン社が製造した .38口径の中型リボルバーで、その名称のとおり、軍(特に憲兵隊)や警察向けのサービスガンとして販売されました。特に1960年代から1980年代にかけて、全米の警察機関から高い支持を受けたモデルとして知られています。
銃身の細いオリジナルモデルのほか、銃身が太く設計された「ヘビーバレル」モデルも存在しております。また、銃身長が3インチのモデルは、法執行機関向けに特別に製造され、警察および連邦捜査局(FBI)の専用品として用いられておりました。
項目 | M10 ミリタリー&ポリス |
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製造会社 | スミス&ウェッソン(Smith & Wesson) |
初期名称 | Hand Ejector Model of 1899 |
使用弾薬 | .38スペシャル弾(.38 S&W Special) |
作動方式 | ダブルアクション/シングルアクション |
装弾数 | 6発 |
銃身長 | 2〜6インチ(代表的なのは4インチ) |
全長 | 約235mm(4インチモデル) |
重量 | 約970g(4インチモデル) |
フレームサイズ | Kフレーム(中型) |
特徴 | 高い信頼性と整備性、 長年にわたり世界各国の警察機関で採用された定番モデル |
派生モデル | M13(.357マグナム)、M64(ステンレスモデル)、 FBIスペシャル(3インチモデル) |
日本での配備 | 戦後、アメリカ軍からの貸与を経て、一部警察に配備。 現在でも一部で現役とされる。 |
M10は「世界で最も多く使用されたリボルバー」とも称され、米国内外で長く警察・軍用に用いられました。日本の警察にも戦後の混乱期に登場し、その後も長らく信頼を得ていました。
なお、この3インチモデルのM10に加え、.357マグナム弾を使用可能な派生モデル「M13」もまたFBIに制式採用されており、いわゆる「FBIスペシャル」として知られております。
日本警察においては、戦後間もない時期にアメリカ軍より貸与された経緯があり、現在においても一部で配備されていると見られています。
なお余談ですが、1982年公開の『駅 station』では、警察の協力のもと撮影が行われており、その劇中において実銃のM10が発砲されるシーンが登場し、あわせて、ニューナンブも登場しており、以下の記事で詳しく解説しています。
S&W M36 Chiefs special 3inch
1992年に発生した「東村山警察署旭が丘派出所事件」では、何者かに交番の警察官が襲われて殉職し、腰に吊っていたけん銃が強奪されています。
この事件の情報提供を呼びかける警視庁公式サイトにて「奪われたけん銃」として公表されている銃はS&W チーフス38口径回転式でありました。警視庁が公開している本銃の写真はベークライト(フェノール樹脂)のグリップを取り付けたモデルでした。
項目 | S&W M36 チーフスペシャル |
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製造会社 | スミス&ウェッソン(Smith & Wesson) |
登場年 | 1950年(IACP会議で初公開) |
使用弾薬 | .38スペシャル弾(.38 S&W Special) |
作動方式 | ダブルアクション/シングルアクション |
装弾数 | 5発 |
銃身長 | 2インチ(標準) 3インチモデルも存在 |
全長 | 約165mm(2インチモデル) |
重量 | 約625g(2インチモデル) |
フレームサイズ | Jフレーム(小型) |
特徴 | 携帯性を重視したコンパクトリボルバー。 |
材質 | 炭素鋼(ブルーフィニッシュ) のちにステンレスモデルM60も登場 |
日本での配備 | 一部の都道府県警にて私服刑事や幹部用として導入。 小型で扱いやすいため、警察向けとしても好評。 |
M36は「コンシールドキャリー(隠匿携行)」の代名詞とも言える存在で、小型ながら.38スペシャル弾を使用する威力も兼ね備えていました。日本でも戦後の一時期に配備され、ニューナンブM60などの国産けん銃登場以前に重宝されていたとされています。
言うまでもなく、M36はニューナンブの開発ベースとなった銃です。チーフの3インチはアメリカ本国でもマイナーです。
コルトM1911(ガバメント)
項目 | コルト・ガバメント(M1911) |
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製造会社 | コルト(Colt’s Manufacturing Company) |
設計者 | ジョン・ブローニング |
採用年 | 1911年(アメリカ陸軍) |
使用弾薬 | .45ACP(オート・コルト・ピストル) |
作動方式 | ショートリコイル式・シングルアクション |
装弾数 | 7発(+1発チャンバー) |
銃身長 | 5インチ(127mm) |
全長 | 約219mm |
重量 | 約1,077g(フル装填時) |
有効射程 | 約50メートル |
特徴 | ・高い信頼性と stopping power(阻止能) ・安全装置が複数(グリップセーフティ、サムセーフティ) ・100年以上の使用実績を持つ名銃 |
日本での配備 | 戦後、GHQより貸与。 自治体警察や国家地方警察で使用。 その後も機動隊などで継続使用されていた記録あり。 |
1972年2月19日から2月28日にかけて発生した「あさま山荘事件」をリアルタイムで知る世代にとっては、ガバメントが日本警察に一時期配備されていた事など、説明の必要もないかもしれません。
当時、山荘に立てこもった連合赤軍の若い犯人たちと、長野県警および警視庁の両機動隊との間で激しい銃撃戦が繰り広げられました。その際、警察側の装備として用いられていたのが、ガス銃とコルト・ガバメントです。これらの銃は、当時のニュース映像にもたびたび登場しています。

画像の出典『突入せよ! あさま山荘事件』より
この事件を描いた映画『突入せよ!あさま山荘事件』では、長野県警の機動隊員らがパトカー「ながの1」にて警ら中、犯人らが潜伏しているとみられる廃屋を発見し、徒歩での偵察に向かいます。
その際、分隊長の「念のため、弾込めしておくか」という一言で、隊員たちが一斉に弾丸を銃に装填する場面があります。分隊長はガバメント、巡査らはリボルバーを所持しており、実際の配備状況を反映した細かな演出がなされています。
この装填シーンのなかで、分隊長がM1911にマガジンを装填し、スライドを引こうとした際、誤ってマガジンキャッチに触れてしまい、弾倉を雪の上に落としてしまう場面があります。「あっ……」と小さくつぶやくこの演出が、役者のアドリブなのか、製作側の意図によるものかは定かではありませんが、非常に印象的です。
コルト・ガバメントの日本での配備の歴史は意外にも古く、終戦直後の自治体警察および国家地方警察という二系統体制の時代から導入されていたようです。ただし、当時実際に配備されていたのはすべて自治体警察だったとされています。
この銃は「大型けん銃」とも呼ばれますが、握り心地については日本人の手にも比較的なじみやすいとされています。ただし、重量はニューナンブM60の約700グラムに対して、ガバメントは1077グラムとかなり重めです。
愛知県警などでは、1980年代まで地域警察官にも貸与していたとされており、平成初期までは全国の警察本部で比較的一般的な装備でした。しかし現在では、視閲式での員数合わせなどでもその姿を見る機会はほとんどなくなっているようです。
.45口径という弾薬は軍用けん銃弾として分類されており、数あるけん銃弾の中でもとくに高い威力を持っています。その理由は口径の大きさだけでなく、重い弾頭を低速で発射することにより、人体を貫通する前に多くの運動エネルギーを使い切るためです。
コルト25オート(ベスト・ポケット)
25口径の小型けん銃。画像は参考。女性警察官やSPなどに貸与された。威力はP230の32口径やニューナンブ他の38口径に極めて劣るものの、小型軽量のためにアメリカでは女性用の扱いやすい護身用として売り上げを伸ばしました。
近年発生した『餃子の王将社長殺害事件』で使われたのが、この25口径弾を使用する銃でした。
項目 | コルト・25オート(Vest Pocket) |
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製造会社 | コルト(Colt’s Manufacturing Company) |
設計者 | ジョン・ブローニング |
製造年 | 1908年~1948年 |
使用弾薬 | .25ACP(6.35mmブローニング) |
作動方式 | シングルアクション・ストレートブローバック |
装弾数 | 6発(+1発チャンバー) |
銃身長 | 約2インチ(約50mm) |
全長 | 約114mm |
重量 | 約340g(空の状態) |
有効射程 | 約7~10メートル |
特徴 | ・非常に小型で「ベストのポケット(Vest Pocket)」に入るサイズ ・複数の安全装置(グリップセーフティ、マニュアルセーフティ) ・護身用・バックアップガンとして人気 ・命中精度や威力は限定的だが携帯性に優れる |
備考 | ブローニング1905/1906などと似た構造で、多くの模倣品やライセンス生産モデルが存在。 |
しかし、小口径ゆえにマン・ストッピングパワーに劣り、反撃の危険性も。警備部のSPでは90年代、トカレフ拳銃の摘発量が増えてから、SP貸与の銃が25口径から38口径に変更されています。
日本警察の旧装備(けん銃編)まとめ…戦後民主警察への第一歩
サーベルから警棒へ、そしてけん銃へ──。この流れは、単なる装備の変化にとどまらず、警察という組織そのものの意識変革を象徴していました。象徴的な帯刀の廃止は、権威から市民への転換を志向する「戦後民主警察」の出発点であり、警察と市民との距離感を問い直す一里塚でもありました。
戦後80年近くを経た今日、警察官のけん銃使用には厳しい制約と訓練が設けられ。昭和20年代のような恐ろしいことはあまりないようです、しかし、その起点には、激動の時代を生きた警察官たちと、彼らを取り巻く制度の苦悩があったことを、忘れてはならないでしょう。
現代の日本警察も、昨今ではもはやオートマチック拳銃のオンパレード。地域警察官だって例外ではありません。