画像引用元 PIT training with Vancouver police, Clark County Sheriff’s Office
アメリカの警察ドラマや実録追跡番組を見ていると、しばしば登場する印象的なシーンがある。逃走車両の後部に警察車両がグッと接近し、右後方を突いた瞬間、逃走車が回転して制御を失い、そのまま道路脇に停止する──これは「PITマニューバ」と呼ばれる戦術的な車両制圧法であり、米国の多くの警察機関で実際に採用されている追跡戦術の一つだ。
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「ピットマニューバ」──アメリカ警察の追跡戦術とその現実
PITとは「Pursuit Intervention Technique(追跡介入技術)」の略称であり、主に高速や市街地で危険な追跡劇が続く際に、警察官が犯人の逃走車両を意図的にスピンさせ、強制的に停止させるために使用される。この技術は1970年代後半から研究され、1990年代には多くの州警察や郡保安官事務所で正式な教範の一部として取り入れられるようになった。
この戦術の要は、警察車両が逃走車の後部バンパーの側面(通常は左後部か右後部)に対してタイミングよく軽く接触し、そのまま進行方向に車体を押し込むことで、逃走車のリアタイヤのトラクションを奪い、スピンを誘発させるというものだ。
成功すれば、逃走車は180度以上回転して進行を止め、警官が一斉に取り囲んで制圧に入る。場所によっては直後にライフルを構えた隊員がドアをこじ開け、運転手を引きずり出すという、米国流の徹底した現場制圧術が展開されるのは現地の取材ヘリからの映像でお馴染みである。
ただし、この技術が採用されているのは、あくまで「人命に危険が及ぶ高リスク追跡案件」においてであり、日常的な交通違反者に対して乱用されることは(理論上は)ない。現場の判断と上官の許可が必要な場合が多く、各州の警察でガイドラインも異なる。たとえばロサンゼルス市警(LAPD)では、PITの使用には訓練を受けた警官に限り、なおかつ「明白な危険がある」場合に制限されている。
また、物理的な接触を伴う戦術である以上、リスクもある。制御を失った車両が通行人を巻き込んだり、別の車両と衝突する可能性があるため、使用には細心の注意が求められる。さらに、近年では車体の軽量化・電子制御化が進んだことで、スピン後の車両が想定外の挙動を見せることもあり、一部の保険会社や市民団体からは「過剰な物理力の行使ではないか」という批判の声も上がっている。
実際に、PIT操作は、2016年から2020年の間に少なくとも30人の死亡に関連付けられている。
それでもなお、ピットマニューバは現代アメリカの警察戦術において欠かせない存在であり続けている。パトカーの前部には頑丈なプッシュバンパーが装着され、警察官たちはピット用の訓練コースでスピンの角度と速度を叩き込まれる。映画『バッドボーイズ』や『ワイルドスピード』のような派手な演出の裏には、実際の現場で練り上げられた地道な技術と判断力が息づいているのだ。
PITマニューバの実際──警察戦術の技術と葛藤
PITマニューバ(Pursuit Intervention Technique)は、アメリカの多くの法執行機関が採用する追跡車両制圧技術の一つであり、その成功率と危険性の高さゆえに、制度的・技術的にかなり厳格な運用が求められる戦術でもある。
制度的な位置づけと承認プロセス
PITの使用には明確なポリシーと承認プロセスが存在する。例えば、バージニア州やジョージア州では、PITを使用する際、現場指揮官または追跡司令官の無線承認が必要であり、使用後には報告書の提出とレビューが義務付けられている。また、都市部や混雑する高速道路では使用を制限している州もある。
たとえばロサンゼルス市警(LAPD)では「都市高速道路では70mph(約112km/h)以上の速度域でのPITは禁止」と明文化されており、あくまで「人命保護の必要がある場合に限り、訓練を受けた警官が実行できる」とされている。
車両設計と専用装備
PITの成功率と安全性は、車両の設計と装備に大きく依存する。アメリカのパトカーには、PIT用に強化されたフロントバンパー(「プッシュバー」または「ラミングバンパー」)が装着されている。これにより、衝突時の自車の損傷を抑え、接触点での安定した力の伝達を可能にしている。
一部の保安官事務所では、バンパーの素材や高さ、形状をPIT専用に最適化した「PIT Bumper」という名称のカスタムパーツを採用しており、たとえばドッジ・チャージャーPPVやフォード・エクスプローラーPIUなどが標準車両として使用されている。
訓練内容と認定
PITを実行するには、専門のドライビングトレーニングを受け、実技試験に合格した警官でなければならない。ネバダ州警察アカデミーでは、PIT訓練の際、訓練用のスピン制御車を用いて「接触の角度(15度以内)」「速度差(10mph以下)」「道路の形状と幅」「車体重量比」などを細かく計算して実行する。
訓練では、逆に「失敗例」も重点的に教育される。特に、トラックやSUVなど重心の高い車両へのPITはスピンでは済まず横転するリスクがあるため、実際の現場では対象車両のサイズや重量を即座に判断する能力が求められる。
成功例と失敗例
PITが功を奏し、安全に犯人を拘束した例は数多く報告されている。2020年にはフロリダ州で銀行強盗犯の逃走車両に対して、高速道路上で巧みにPITを行い、5台の警察車両が包囲して無血拘束に成功した事件が注目を集めた。
一方、失敗例も存在する。2015年、アーカンソー州で妊婦の運転する車両にPITを実施し、車がひっくり返って中の女性が流産するという重大な事故が発生し、警察が過失責任を問われた。この事件を契機に、「PITの前に緊急警告を与えたか?」「人命リスクを総合的に判断していたか?」といった実施基準の見直しが一部の州で進められている。
批判と法的論争
PITマニューバはその性質上、物理的危険と背中合わせであるため、民間団体や人権団体からの批判も根強い。特に、PITの結果として対象車両が歩道や民家に突っ込んだ場合、警察側に過失責任が及ぶケースもある。
さらに、PITの「攻撃性」が過剰であるとする論点もあり、ある人権団体は「軽微な交通違反に対してもPITを用いることは、不当な物理力の行使に等しい」として、法廷で争った例もある。
最近の傾向と代替手段
近年はPITの代替として「GPS発信器投射(Starchase)」を利用する警察も増えている。これはパトカーのフロントグリルからGPSタグを逃走車両に発射・接着させ、遠隔で追跡を継続し、追跡劇そのものを終わらせるというものだ。カリフォルニア州警察やアリゾナ州保安官事務所などが導入している。
また、ドローンによる追跡やヘリコプターとの連携を強化することで、物理的な接触を避ける方向に技術が進化しており、PIT自体は「必要な場合のみ」として運用が絞られつつある。
まとめ
ピットマニューバはアメリカ警察の「攻めの戦術」の象徴であると同時に、合理性とリスク、そして公共の安全のバランスを問われる存在でもある。その車輪の一押しが、正義か破壊か――判断のすべては現場の瞬時の決断に委ねられている。
日本の警察車両ではまず見られないこの戦術。だが、警察力が自らの「攻撃的な介入」を辞さない局面では、法執行と危険の紙一重にある最終手段として、今後もプッシュバンパーは、静かにその役目を待っている。